掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

「愛」なんて歌の文句だと思っていた

 夕食の後、フーラとカレナの姉妹は、ソファーに座ってテレビを見ていた。テレビでは一般家庭の家族がチームを作りゲームで競い合う「待ったなし!崖っぷちファミリー」という番組をやっていた。二人はこの番組を見ながら、それぞれ「家族」という言葉について考えていた。彼女たちにとって、この言葉は痛みの伴うものだった。

 姉のフーラは60代の今に至るまで独身を通してきた。一方妹のカレナは、結婚し2人の子どもをもうけ、その子どもたちが独立した後、夫に先立たれ、長年独り暮らしだった姉の誘いに乗り、彼女が生まれ育った家に帰り、姉と二人で暮らすようになっていた。 
 
 フーラは「家族」という言葉に、強いこだわりを持っていた。彼女は自分の育った家庭に、大いに不満を抱いていた。彼女の両親はすでに他界していたが、それでも彼女は両親が許せなかった。60歳を過ぎて、まだ自分の親に対する不満を引きずっていることを、自ら恥じてはいたが、彼女にとってはたかが60年くらいで、きれいに水に流せるようなことではなく、きっと自分は死ぬまでそのことについて不満を抱き続けるだろうと思っていた。 
 
 一方妹のカレナは、自分が子を持つ親という立場にあるからか、姉に比べれば両親に対しては寛容だった。ただやはり自分の育った家庭への不満は持っているので、基本的には姉に同調できた。両者に共通する認識は、自分たちの育った家庭には「愛」が存在しなかったということである。今でこそ同居して共に助け合う姉妹になれたが、子どもの頃はこの姉妹も不仲で、両者の間にも愛は無かった。
 
 彼女たちにはマケットという弟がいた。このマケットは幼少の頃から問題児で、十代の頃には何度も警察沙汰を起し、挙句の果てに16歳の時にバイク事故で亡くなっていた。フーラは弟が死んだ時、正直悲しみを覚えなかった。それは弟の度重なる愚行の故でもあったが、彼女はそれ以前の問題として、一度も弟を愛したことが無かった。
 
 それはカレナも一緒だった。しかし両者はお互いにそのことを確認し合ったことはなく、相手の本当の気持ちを知らなかった。その為二人とも心の奥で自分を責め、その裏返しとして努めて何でもない振りをして生きてきた。カレナは亡くなった夫に対してでさえ、その件に関する心のあり様を伏せていた。そして結婚したことのないフーラもまた、誰にも本心を明かしたことはなかった。
 
 彼女たちの両親は、生前ついに一度もマケットの死について触れることはなかった。問題児だったとはいえ、両親にとってマケットは実の子どもなので、その心のあり様は娘たちのそれとは異なるだろう。娘たちにとってもマケットに関する話題はあまり好ましくなかったので、二人とも両親の態度に不満はなかったが、一方で自分たちの家庭の歪さを嫌悪していた。そしてそれは強烈な自己嫌悪にも繋がった。
 
 フーラは結婚しなかったので叶わなかったが、カレナは結婚して子を持ったことにより、自分の育った家庭から与えられた「負の遺産」を、懸命な子育てによって、ある程度は消化できた。彼女の夫は良き夫であり良き父でもあったので、頼もしいタッグパートナーと共に、母カレナは善戦した。もちろん完璧な母親などではないが、カレナは自分の親としての職責は全う出来たと自負している。
 
 カレナの家庭にはあって、彼女の育った家庭には無かった「愛」は、どこから生まれてくるのだろう。そしてどこで失うものなのだろう。姉のフーラ共々認める愛のない家庭は、まず彼女たちの両親の間の感情に端を発しているのだろうが、その両親にもそれぞれ育った環境というものがあり、元をたどればキリが無い。
 
 愛なんて宗教の戯言か、軽薄な歌の歌詞に出て来る流行り言葉くらいにしか思わない人もいるかも知れない。しかしフーラもカレナも(そして恐らくはマケットも)、確実に愛に飢えた子どもたちだった。彼女たちの両親は子どもの前で喧嘩をしたこともなく、また離婚もしなかった。そういうことに苦しめられた子どもたちから見れば、フーラたちの家庭は羨ましいくらい円満な良い家庭である。
 
 しかし対外的な評価だけで家庭の良し悪しは計れないだろう。今フーラとカレナが見ている番組に出ている、仲の良さそうな家族だって、実情は誰にも計れない。そしてそれは内部の人間でさえ、見間違えている可能性がある。突然のバイク事故で亡くなったマケットを見て、両親が本心でどう思ったのかさえ、二人の娘は知らないのだ。そしてその両親もまた、二人の娘がどう思っているのかを知らずに世を去った。
 
 「あのお父さん、いい人そうだよね」番組の中のゲームで失敗した父親を見て、フーラは笑いながら言った。彼女の父親は決して失敗をしない人だった。いや自分の失敗を認めない人だった。そして当然の如く、他人の失敗にも不寛容であった。この父親は悪い人ではない。酒も飲まなければ、ギャンブルもしない。ただ人への思いやりが無かった。優しい性格なのに、愛を知らなかった。その責任は、誰にも問えない。