掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

オセロの神話

 まだ人間が地表に現れるよりもはるかに遠い昔。この世界には「白の神」と「黒の神」という二つの神が共存していた。この二つの神は、よく形容される様な人に似た姿などは持たず、大気中を彷徨う成分の様な存在であった。

 

 この二つの神には、それでも人間の様な意志があった。この両者はしかし、初めはお互いに相手の存在を知らず、他者という概念を持たなかった。時の流れもなく、気候の変動もなく、あるのは自分一人、「わたしはある」というただそれだけの存在であった。

 

 両者が相手の存在を認識したのは、この世界に始めて音が生まれたことに端を発した。しかしその音はハーモニーとは程遠い、むしろノイズの様な存在であった。二つの神は初めて生まれた「音」に注目し、その音が単音ではないという事実に気付き、そこで初めて他者の存在を意識するようになった。

 

 やがて時が流れるにつれ、世界中いや宇宙全体のあちこちでノイズが鳴るようになった。二つの神は自身で自覚していなかったが、両者はとてつもないスピードで膨張し続け、様々な場所で接触を繰り返し、その度に不快な音を生み出していた。

 

 二つの神は、そのうちに他者の存在を疎ましく思い始めた。そしてその敵意の表れが、新たな知恵を生んだ。神々はノイズの発生する位置から、相手のポジションをつかみ取り、そのポジションをどちらかが囲むと、綺麗な音が流れ、かつ相手の勢力が縮小することに気付いた。

 

 白い神と黒い神は、この陣取り合戦に夢中となった。こうして宇宙全体にノイズの発生と、戦いの勝利を表す美の音色があふれ、無から始まった世界は今や混沌とした様相を示すようになった。そしてこの世に生まれた音は、やがて自らの意志を持つ魂となって、神から独立した一個の存在として自立し始めた。

 

 そして美の音色から生まれた魂と、ノイズから生まれた魂は各々固まってグループを成し、やがて両者は対立する勢力としていがみ合う様になっていった。意志を持つ魂たちは自らの名称を持ち始め、美の音色から生まれた魂は「人の子」と自称し、ノイズから生まれた魂は自らを「グレーの悪魔」と名乗った。

 

 二大勢力は各々全く異なる性質を示し、端的に云えば「人の子」は平和を好み、「グレーの悪魔」は争いを好んだ。一方白の神と黒の神はそれぞれ陣取り合戦に夢中で、音から生まれた魂には関心を示さなかった。そして神々の存在とその競争の結果として、「人の子」も「グレーの悪魔」も際限なく増え続け、宇宙には二種類の魂が増殖し続けた。

 

 「人の子」も「グレーの悪魔」も自らの誕生の経緯を知らず、その根源的な生みの親である神々のことも知らなかった。神の存在と魂の存在は、そこに決定的な相違があった。すなわち神は魂の存在を知っていたが、魂は神の存在を知らないという決定的な違いである。そしてそれが神の持つ知恵と魂の持つ知恵の大きさの違いに繋がり、その違いの差はまさに天と地ほどの差であった。

 

 共に神を知らない二種類の魂は、双方が相手の存在を否定した。そこは白の神と黒の神が相手の存在を疎んじ、やがて争うようになった点とよく似ていて、それは魂が元は神から生まれたこと、また魂は生みの親である神の性質を自らも受け継いでいることを間接的に証明していた。

 

 魂は神々の霊的な接触の産物であり、二つの性質に別れるといっても、白の神は「人の子」の神、黒の神は「グレーの悪魔」の神であるとか、あるいはその逆とかという訳ではなく、白の神も黒の神も共に「人の子」の神でもあり、また「グレーの悪魔」の神でもあった。そもそも魂は神の存在を知らないのだから、「私たちの神」などという概念など持ちようが無かった。

 

 平和を愛する「人の子」たちは、争いを好む「グレーの悪魔」が存在するが故に、結果的に争ってはいたが、「人の子」の平和を愛するという性質は、自分たちでその様に宣言した訳ではなく、持って生まれた性質なので、建前や偽善といった計算の産物ではなく、彼らはただそういう性質なだけであった。そもそもこの時代において、建前や偽善など全くの無価値であって、そんなものは宇宙全体を見渡しても、誰からも評価されない宇宙の塵の様なものであった。

 

 ここにあるのはただ純粋な平和と純粋な争いであって、複雑な思考など皆無であった。平和は善ではなく、争いは悪ではない。二種類の魂の持つ平和と争いの傾向は、あえて言うならば彼らの嗜好の様なもので、この世界に争いが絶えないのは、「グレーの悪魔」の争いの働きかけに「人の子」たちが応じているからである。「誰々くん遊ぼう。今日は戦争ごっこしようぜ」という誘いに、「ああいいよ」と応じてやる子どもの様なものなのである。