掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

青い稲妻に打たれて

 バータイム小学校の中で、フォッシュという少年は完璧というイメージがあった。彼の学校の成績は、すべて良かった。彼は学校の人気者で、先生にも好かれていた。しかし彼は優等生であるがゆえに、息苦しさも感じていた。まだ子どもではあったが、自由を求めていた。そしてそんな自分をもっと表に出したかった。
 
 フォッシュは両親に連れられて行った市の絵画コンテストで、ある一枚の絵と出会った。「青い稲妻」と題されたその絵は、そのコンテストの注目作品とは呼べず、実際に興味を持つ人も少なかった。
 
 その絵は一見すると幼稚な印象で、あまり芸術性は高くなく、悪く言えば奇をてらったような、風変りではあるものの、そこに高い価値を見出す人は少なかろう印象の、どうにも困った絵であった。
 
 しかし、フォッシュの評価は違った。他の絵の前を素通りしていた彼の足は、なぜかその絵の前で立ち止まり、そこから動こうとはしなかった。彼の目には、この絵には他の絵にはない、作者の主張があった。それは彼が日頃から求めている、自由な生き方の表明であった。
 
 この絵には評価されることへの欲求が、微塵も感じられなかった。ただ描きたいものを描いている、それだけな感じがした。それ故に、この画家の要求は受け入れられ、この絵は絵画としての高い評価は得られていない様に、フォッシュには思えた。
 
 実際にこの絵の作者がどう思っているのかは不明だが、フォッシュにはこの画家の他人の評価を無視した様な生き方が、とても格好良く映った。そこで彼は子どもらしく真似てみることにした。
 
 フォッシュは優等生なので、絵を描くのも上手かった。彼自身それを自覚していたが、それでもフォッシュはあえて自分の描き方を捨てて、すべてを「青い稲妻」風に表現することにした。しかし、それを高く評価する人はいなかった。はっきり言って、彼の絵は下手になっただけだった。
 
 学校の先生は、このフォッシュの新しい試みを露骨に嫌った。しかしフォッシュは正当な評価を得られるまで戦う覚悟だった。両親に注意されても、彼はそれを止めなかった。そして実際彼の美術の成績は下がってしまった。
 
 またフォッシュは絵画以外にも、自己表現が可能なあらゆる課題において、「青い稲妻」風を試みた。彼の書く作文はいつも先生の評価が高かったが、それも変わってしまった。彼は耳障りの良い表現を捨て、本当に思っていることを書いた。その結果生まれたものは、ただの乱暴な作文であった。
 
 フォッシュは自分が「青い稲妻」に打たれたことを誰にも告げていなかったので、周りの大人たちは彼の突然の変化に当惑するばかりであった。彼らはフォッシュに元のやり方に戻すことを求めたが、彼は頑として譲らず、出来の悪い作品を量産し続けた。
 
 あの「青い稲妻」の絵は、本当にただの下手な作品に過ぎなかったのかも知れない。「青い稲妻」にあって他の出品作には無かった要素とは、コンテストで評価される為に最低限持っておくべき知識の欠如であり、その世界の常識の無さであった。
 
 しかしそんな作品が何段階かの審査を通過して、コンテストの展示会に張り出されたということは、あの「青い稲妻」には審査員に訴える何かがあったということだろう。「青い稲妻」を描いた画家は、絵画の基本的な技術を習得した上で、あえてそれを全部捨て、あの様な絵を描いたということも考えられる。
 
 フォッシュが共鳴したのは恐らくその辺りを感じ取ったからであり、今の彼の態度は大人に対する反抗などではなく、彼が人間として成長するための壁にぶつかったが故のもがきであった。フォッシュは大人に評価されるためのテクニックをすべて習得し、その上で今それを捨てようとしているのだ。
 
 フォッシュは向上心の強い子どもで、それが今までの彼の栄光を支えてきた。ここからの道はますますその向上心が求められ、その結果彼の評価は下がってしまうので辛いだろう。しかしその回り道は学ぶことの多い道であり、そこには弱者の痛みに鈍感なエリートが通らないで済ましてしまう挫折が待っている。それは彼にとって、危うくも有益な青春時代の道なのである。