掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

幸運を呼ぶタヌキ

 新しく軽食屋を始めようとしていた、プージャとその妻ルンダは、蚤の市を訪れ、何か店のシンボルになるものを探していた。
 
 するとそこに、高さが2メートルもある、陶器でできたタヌキの置物を発見した。「なんか、あなたに似ているじゃない」と言って、ルンダはそのタヌキの置物を店の前に置くべきだと言った。
 
 しかし、プージャは反対だった。それは妻の「似ている」という発言が面白くなかったからだ。しかし、結局は妻の熱意に負けて、プージャはタヌキの置物を買って、店のシンボルとした。
 
 そして軽食屋「プージャの店」は、すぐに繁盛するようになった。あのタヌキは、幸運を呼ぶタヌキだったのかも知れない。蚤の市でタヌキを売った人は、「あれは私の祖父が営んでいた料理屋の前にあったもので、祖父はあのタヌキが客を呼ぶんだと、よく言っていた」と話していた。
 
 プージャはそんなことは信じていなかった。だから、あのタヌキはそのうちに、店の前から撤去するつもりだった。
 
 しかし、ルンダ曰く「タヌキちゃんのおかげで」店は儲かっていた。やがてプージャの店は、新聞にまで取り上げられた。しかしそこで注目されたのは、やはりタヌキだった。
 
 今やあのタヌキは、店の目印として無くてはならないものとなった。店はみんなから「タヌキの店」と呼ばれていた。プージャはそれが面白くなかった。
 
 そしてなお腹が立つことに、みんなはプージャのことを「タヌキおやじ」と呼ぶのだった。彼は気の毒なほどに、置物のタヌキに似ていたのだ。
 
 そこで血迷ったプージャは、ルンダには内緒で新しい店のシンボルを勝手に作らせた。それはプージャ自らの姿を模した、電気で動く人形だった。
 
 無断でこんなことをされて、ルンダはショックを受けた。しかし蚤の市の時とは逆で、今度はルンダがプージャの熱意にほだされて、結局タヌキの代わりに新しい人形を置くこととなった。
 
 そして、新しいシンボルの効果はてきめんだった。しかしその効果は、必ずしもプージャの思惑に添うものではなかった。
 
 彼はこれで町の人たちも、自分の店のことを「タヌキの店」ではなく、正式名称の「プージャの店」と呼んでくれるだろうと期待していた。しかし、プージャの作った新しい店のシンボルも、人が見ればタヌキの様だった。
 
 タヌキに似たプージャの姿を模した人形を作っても、やはりイメージはタヌキなのだ。従って「タヌキの店」の愛称は消えることがなく、電気で動く新しい「タヌキおやじ」の人形は、「タヌキの店」の新しいシンボルとして受け入れられてしまったのだ。
 
 プージャの落ち込み様は、ひどかった。しかしそれに反して、町の人のプージャへの評価は高まった。みんなは誤解を元に、プージャの経営戦略に敬意さえ示すのであった。
 
 事ここに及んで開き直ったプージャは、妻の勧めもあって店の名前を「タヌキおやじの店」と改めた。そして蚤の市で買った「初代タヌキ像」を再び店頭に置き、それは「タヌキおやじの人形」と共に、人々に愛嬌を振りまくマスコットとして活躍した。
 
 プージャに与えられたタヌキおやじというあだ名は、蔑みではなく親しみから来るものであった。プージャにそれを気付かせてくれたことが、幸運を呼ぶタヌキのご利益であり、それこそが人が享受し得る「幸せ」の本質ではないだろうか。

ロボットの沈黙

 ある町の科学センターという名の子ども向けの施設には、人気者のロボットがいた。このロボットは名を「ファンタス」といい、子どもたちの科学のナビゲーターとして活躍していた。
 
 そして、科学センターには、ファンタスのための整備士がいた。彼は二十代の男性で、名をラアキンと言った。ラアキンは無口で、自分の過去を決して語らない男だった。しかし、科学の知識は豊富であった。
 
 ラアキンには人には言えない秘密があった。彼は、内緒でファンタスを改造していたのだ。それは科学のナビゲーターとして、より良くするための改造だった。しかし、科学センターの許可を得ずに行うその行為は、決して許されるものではなかった。
 
 ある夜、ファンタスの整備を終え、ラアキンがファンタスのテストをしようとしたとき、異変が起きた。ファンタスは、突然喋らなくなってしまったのだ。他の動作は、問題なかった。ただ喋る事だけが、出来なくなってしまったのだ。
 
 ラアキンは何とかしようと徹夜で頑張ったが、駄目だった。そこで、ラアキンは仕方なく、科学センターの所長に、不具合を報告した。
 
 すると所長は不機嫌になり、どうしようかと思案した挙句、ファンタスが直るまでは、ラアキンが代わりに科学解説をするように命じた。ラアキンは喋るのが苦手なので、即座に断ったが、所長の命令は絶対だった。
 
 そこでラアキンは、無言を貫くファンタスの横に立ち、彼に代わって科学の解説をした。ファンタスのように愛嬌はないが、ラアキンはファンタスの穴を埋めるのに十分な働きをした。段々子どもたちにも好かれるようになり、特に常連の子どもたちには、「お兄ちゃん」と言って慕われるようになった。
 
 ラアキンにとっては、そんな毎日が楽しかった。人知れず知識を蓄えてきた彼の努力が、ここで初めて花開いた。昼間は科学解説者。閉館後はファンタスを直すための整備士。彼は二足のわらじを上手く履きこなした。
 
 しかし、ファンタスはいつか喋れるようになる。そうなると、ラアキンは再び、日陰に立つ一整備士に戻ってしまう。ラアキンは今の充実した生活を失いたくなかった。
 
 そこで、彼は一計を案じた。ファンタスの故障から一か月が過ぎ、ついにファンタスは喋れるようになった。
 
 しかし、彼は決して元に戻ったわけではなかった。ラアキンの秘密の改造の結果、ファンタスはとても難しい科学解説をするロボットになってしまったのだ。
 
 このままでは、ファンタスは使えない。そこで所長は考えて、ラアキンにファンタスの難しい説明を、わかりやすく子供たちに伝える、二次解説者のような仕事を与えた。
 
 所長は引き続き、ラアキンにファンタスの修理を指示し、以前のファンタスに戻すように求めた。ラアキンの二次解説の仕事は、あくまでも一時的な処置のつもりだった。
 
 しかし所長の思惑と違い、ラアキンとファンタスのコンビは、子どもたちに人気があった。結果、入場者数も伸びていた。そこで仕方なく所長は現状維持を認めた。
 
 ラアキンは表情が明るくなり、よく笑うようになった。それはかつての明朗な科学少年が、その輝きを取り戻したかのようであった。

空に浮かんだレモン

 ある日の夕方、バラコという少年は、空を眺めながら、何かレモンのような酸っぱい感覚が、頭をよぎるのを感じた。すると、空にレモンが浮かぶのが見え、不規則な動きをして、やがて消えていった。
 
 バラコは確信した。「あれは、UFOだ」と。バラコは家に帰って、両親にそのことを話したが、取り合ってくれなかった。両親はUFOという単語が出てきた瞬間、息子の話を信じる努力を放棄した。
 
 仕方なく、バラコは学校で友達にそのことを話した。しかし、UFOの体験談など、彼らにとっては、もはや時代遅れであった。だから、バラコのこの「空想話」は、かえって友人の軽蔑を招くだけであった。
 
 そこで、最後の頼みである学校の先生に訴えるため、バラコはUFOのことを作文に書いて提出した。しかし、返って来た答えは「真面目に書きなさい」の一言であった。誰も、バラコの話を信じてくれなかった。バラコは、そのことが大変悔しく、しかしどうすることも出来ない現実に、打ちひしがれるだけであった。
 
 そんなある日、バラコはテレビの新しいCMを見て仰天した。そのCMの中では、空に浮かんだレモンが、UFOのように飛び回り、若いな女の人がレモンソーダを飲んでいるのだった。
 
 このCMを作った人は、もしかして自分と同じ体験をしたのではないか。バラコは、このCMを作った人に会いたかった。
 
 そこで、彼はレモンソーダの会社を訪ねた。珍しい子どもの来客を歓迎してくれた会社の人は、バラコを広報部の人に会わせてくれた。
 
 広報部の女性は、バラコの話を丁寧に聞いてくれた。そして彼女は思った。この話は宣伝に使えるかもしれない。そこでこの女性は、例のCMを作ったプロデューサーのルマーク氏に会わせてくれた。
 
 ルマーク氏はバラコの話を聞いて、酸っぱい感覚が頭をよぎったというバラコの体験談に、とても大きな感銘を受けた。実はルマーク氏も少年の日にバラコと同じ体験をしていたのだ。
 
 「酸っぱい感覚」の話は、ルマーク氏にとってバラコの話が本当だという何よりの証拠であった。あのCMは、その体験をもとに作ったものだった。
 
 しかし、彼はそのことを誰にも明かしてはいなかった。ルマーク氏は少年の頃にバラコと同じく、誰からも信じてもらえず、そのうっぷんを晴らすために、あのCMを作ったのだった。
 
 だから、バラコとの出会いは、ルマーク氏にとって、ついに自分の話を分かってくれる人に会えた喜びを与えてくれる、素晴らしい体験だった。
 
 ルマーク氏と広報部の女性は話し合い、このバラコの体験談を新聞の広告に使うことで合意した。とにかくルマーク氏はこの話に大乗り気で、広報部の人を説得して全国紙に丸々一面を使って宣伝をする約束を取り付けたのだった。
 
 バラコの体験談は新聞に大きく紹介され、それは話題となった。ルマーク氏は、自らのバラコと同じ体験談を告白し、それもまた話題となり、あのレモンソーダの売り上げは飛躍的に伸びた。
 
 バラコの両親や友人も、やっとバラコのことを信じてくれた。そしてそれはルマーク氏にしても同じことだった。彼らの「空想話」は、メディアの力に依って「実体験」へと生まれ変わったのだった。

知らぬは目利きばかりなり

 ある街の骨董屋の旦那は、大変な目利きで、皆から尊敬され、商売も上手くいっていた。
 
 旦那には一人娘がいた。器量がよく、頭のいい娘だった。娘は父を尊敬していて、仲のいい親子だった。娘は二十歳になったころ、父親の弟子にあたる若者と結婚した。この師弟の関係も良好で、商売はますます繁盛していった。
 
 しかし、旦那の耳によからぬ噂が聞こえてきた。それは、娘夫婦が独立したがっているという噂だった。それは事実ではなかったが、旦那はその噂を信じた。そして、弟子に対する猜疑心が徐々に大きくなったいった。
 
 やがて一枚の皿を巡って、旦那と弟子は対立するようになった。旦那はその皿を高く評価したが、弟子は否定的だった。しかし最後には弟子が折れて、旦那はその皿を買った。
 
 旦那はその皿を店の一番目立つところに置いたが、売れなかった。そこで、旦那は少しずつ自信を失っていった。反対に弟子は自信を深めた。しかし、旦那のことを思い、あの皿が売れてくれればと願ってはいた。
 
 ある日、一人の女性が店を訪れた。この女性はアンティークに詳しく、一人店番をしていた旦那を驚かせた。そしてその女性は、例の売れない皿を見て興味を示した。しかし、旦那は自信がないので、それを買ったのは自分の弟子だと嘘をついた。
 
 それからしばらくして、一人の年配の女性が店を訪れた。そしてその女性は、なぜか例の皿に興味津々だった。そのとき店には弟子しかいなかった。
 
 女性はこの皿を買ったのはあなたなのかと尋ねた。弟子は当然それを否定した。しかし価値のあるもののように、女性に勧めた。商売人としての性が、彼をそうさせた。
 
 結果、その皿は売れた。皿が売れたのを見て、旦那は弟子の商売の上手さに脅威を感じた。価値のないものを高く売ったからだ。一方弟子の方は、良心の呵責に苦しんだ。彼は自分が価値を認めない皿を、高く売りつけたことを悔いていた。
 
 しばらくして、例の皿を買った女性が、またやって来た。店には、旦那の娘が一人いるだけだった。女性はあの皿が大変気に入っていた。娘は父と弟子の双方の苦悩を知っていたので、事の顛末を正直に話した。
 
 しかし、女性は友人であるアンティークの専門家の見立てにより、あの皿の高い価値を確認しており、そもそもあの皿を勧めたのも、その友人であることを明かした。
 
 そこで、娘はそのことを、父とその弟子に話したが、猜疑心の強い父は娘の話を信じなかったし、弟子はかえって自信を失った。
 
 この師弟の関係は、もう限界だった。そして本来は望んでいなかった、娘夫婦の独立のみが、問題の唯一の解決法となった。
 
 「あそこのお弟子さんもう独立だってさ。やっぱ羽振りがいいんだねえ…」

未来を変えた教え子たち

 ある町で町長選挙が行われた。そこには二人の男性が立候補した。
 
 一人は、この町で三十年間教師を勤めて退職したファンタース先生だった。そして、もう一人はこの町の大きな工場を経営するギロンチ社長だった。
 
 この社長は財力があり、今度の選挙では惜しみなく金を使い圧勝するつもりだった。一方先生の方は、選挙資金が乏しく、財力ではとても社長にはかなわなかった。
 
 しかし、いざ選挙戦が始まってみると、先生の方が人気が高かった。そこで、焦りを感じた社長は、自分の息子を利用することにした。
 
 この息子は、ファンタース先生の教え子で、その彼が先生の暗い過去を暴いたのだった。彼曰く、先生は自分に体罰を行った。そのために、自分の人生は狂い、遊び人になってしまったというのだ。
 
 それは息子の作り話だった。先生は在職中、一度も生徒に暴力など振るったことはなかったのだ。しかし、先生はあえて反論はしなかった。先生は選挙の争点がずれていくことを避けたかったのだ。
 
 財力を誇る社長のネガティブキャンペーンは功を奏し、投票日を一週間後に控え、社長は有利な立場に立った。このままいけば先生は負けてしまう。先生の選挙スタッフは、こちらもネガティブキャンペーンを行うことを強く勧めた。
 
 なにせ社長は、叩けばいくらでも埃の出る男だったのだ。自分の事だけではなく、町の将来の事も考え、先生はネガティブキャンペーンを決意するのであった。
 
 ちょうどそのころ、先生の選挙事務所に、意外な来客があった。それは二十代の男性で、先生の教え子だった。しかし、この教え子は不登校が多く、非常に印象の薄い生徒だった。
 
 彼は一枚の紙を先生に見せた。それは、その教え子が在学中に書いた作文だった。その作文の内容は、ひとえに自分の悪口を言う同級生たちを糾弾する内容だった。
 
 そんなものを提出したら怒られるものとばかり思っていた教え子は、作文が返って来たときに大変驚いた。そこには花丸と共に先生の次の言葉が添えられてあった。「とても勇気のある告白でした」
 
 教え子はこのとき、とても安堵したことを今でも覚えていて、そのときに言えなかった「ありがとう」の一言が言いたくて、陣中見舞いもかねてやった来たのだった。
 
 そんなことがあって、先生の選挙事務所では、もう誰もネガティブキャンペーンを求めなくなった。先生は選挙期間の最後まで、声を枯らして、自らの政策を訴え続けた。
 
 そして、投票日がやってきた。夜の八時に締め切られた投票所は、開票作業に移り、翌日の早朝には大勢を決した。
 
 結果は財力に勝る社長の勝ちだった。しかしそれは僅差での勝利であった。
 
 そして、社長が新町長になったとき、その傍らには、先生の姿があった。先生は町の特別顧問に就任したのだ。良心の呵責に耐えかねた社長の息子が、半ば親を脅迫するような形で、そうさせたのだった。
 
 先生の二人の教え子が、結果的にこの町の未来を変えたという事実を知る町民は、ほとんどいなかった。

伝説の怪鳥

 インチキ探検家のアノン氏は、探検隊を結成して、山に登った。そこには火を吐く怪鳥がいるという話だった。しかし、それは嘘だった。アノン隊長は、隙を見て、どこかで逃げるつもりでいたのだ。
 
 ところが、逃げ道を捜す隊長を、大きな影が襲った。探検隊のみんなが見ている前で、本当に怪鳥が現れ、隊長をさらって行ったのだ。
 
 アノン隊長は、高い岩山の上の、怪鳥の巣に投げ出された。
 
 あっけにとられたアノン隊長を前にして、怪鳥は人間の言葉で説教するのだった。
 
 「なぜ私を探しに来たのですか」隊長は小さな声で答えた。「いや、まさか本当にいるとは…」
 
 「あなたたちが、二度とこの山に来ないのであれば、仲間のところに帰してあげます」
 
 アノン隊長は言った。「もう、来ません」
 
 そして隊長は、怪鳥によって仲間のもとに返された。しかし、元来が山師の気質を持つアノン隊長は、ここぞとばかりに自慢するのだった。「どうです。やっぱり怪鳥はいたでしょう」
 
 しかし皆は言った。「でも火を吐かないですね。あなたの話では火を吐く怪鳥ということでしたが」
 
 すると隊長は開き直って言った。「嘘じゃありませんよ。もっと近づいて見に行きましょう」
 
 そして、探検隊は岩山に向かった。その道中、アノン隊長は、こっそりと山に火をつけた。そして、みんなに向かって叫んだ。
 
 「怪鳥だ!火を吐いたぞ!」隊長は混乱の隙に逃げ出すつもりだった。しかし、そこへまたしても怪鳥が飛んできた。そして、驚くべきことに、怪鳥は口から水を吐いて、山火事を鎮火させたのだった。
 
 隊長はやけになって言った。「どうです!また怪鳥がやって来ました」
 
 しかし探検隊は言った。「吐いたのは水だ。火ではない。火はあなたがつけたんだ」
 
 隊長は言った。「違いますよ。怪鳥が火を吐いたんですよ」
 
 するとまた怪鳥が飛んできて、隊長をさらった。そして岩山の巣で説教をした。
 
 「懲りない人ですね。なぜ帰らなかったのですか」
 
 隊長は怪鳥を拝んで言った。「怪鳥さま。あなたは水を吐くのなら、火も吐くでしょう。どうか、疑い深い人たちに、見せてやってください」
 
 「そうすれば、山を去るのですね」「はい、すぐにでも」
 
 怪鳥は隊長を元に戻して、皆の前で火を吐いた。その火はアノン隊長のお尻についた。
 
 お尻のズボンを燃やしながら、隊長は熱くて転げまわった。すると、怪鳥は口から水を吐き、お尻の火を消した。隊長はお尻丸出しのまま、ぐったりとしてしまった。
 
 その後探検隊は山を降りた。隊長は恥ずかしさのあまり、今日のことを内緒にしてくれるように頼んだ。
 
 みんなは快く認めて、笑いながら帰った。その後、隊長はインチキ探検の仕事から足を洗った。お尻の話が広まって、もうこの業界には残れなかったからだ。
 
 その後アノン氏がどうしたのかは、誰も知らない。そして、そのあと誰が見に行っても、怪鳥は現れなかった。

残された指輪

 ティックの足取りは重かった。彼の向かう先は病院で、そこには友達の妹のディーディが入院していたのだ。
 
 ディーディの病気は重かった。それは、もう治らない病気だった。そんなディーディに会いに行くのは、辛いことだった。
 
 ディーディはティックのことが大好きだった。ディーディの夢は、ティックのお嫁さんになる事だった。ティックもそのことは知っていた。だから、なおさら辛かった。
 
 ディーディの残り少ない命を考えたら、ディーディを喜ばせるために、結婚の約束をするべきかもしれない。しかし、ティックの初恋の相手は、ディーディではなかった。彼の意中の相手は、歌手のライラ・クォーだった。
 
 ライラを取るか、ディーディを取るか、ティックにとっては、とても悩ましい問題だった。ディーディは、そんなティックの気持ちを知ってか知らずか、病室に彼が入ると、力なく微笑むのだった。
 
 病室には、ディーディの兄のピビーもいた。ディーディの気持ちを知るピビーは、ティックに意味ありげな視線を送ると、気を利かせて病室を出た。
 
 「あ~あ、ティックのお嫁さんになりたかったのに…」ディーディは半ばあきらめた調子で、それでも熱っぽい視線を、弱々しくティックに送った。
 
 ティックの恋の相手は、ライラであってディーディではないことが、彼にとっての障害になった。嘘をついてまで、ディーディを喜ばせるべきなのか、それともライラへの愛を貫くべきなのか、この弱りきったディーディの顔を見ながら、ティックは何も言えずにいた。
 
 すると、ディーディの兄のピビーが、病室に飛び込んできた。「大ニュース!大ニュース!」
 
 ピビーが手渡した新聞には、ライラ・クォーの婚約の記事が載っていた。そして、ライラが婚約者にもらった指輪を、誇らしげに見せている写真があった。
 
 ライラへの愛が一気に冷めたティックは、ディーディに婚約指輪を贈る約束をした。ディーディの兄のピビーが、その証人だった。
 
 ティックは病院を出ると、「マダム・マリー」というアクセサリーの店で、小さな指輪を買った。ティックはディーディに一番似合う指輪を選んだのだった。
 
 しかし、ティックが病院に戻ると、事態は急変していた。病室は空っぽで、ディーディは集中治療室に送られた後だった。ティックは指輪をポケットにしまい、とぼとぼと家に帰った。
 
 そして、彼は二度とディーディには会えなかった。ディーディの訃報は、その日の夜に、電話で告げられたのであった。
 
 テレビでは、ライラ・クォーの婚約が、何度も報じられた。一夜にして大事な女性を二人も失ったティックは、その夜なかなか眠れなかった。
 
 何日かすると、学校の前にはディーディのために花が置かれるようになった。ティックは、渡そうとして渡せなかった指輪を、献花台の上にこっそりと置いた。
 
 ティックの前からライラ・クォーが去り、またディーディが去った。
 
 思春期を迎えて間もないのに、ティックの心には、青春の痛みがあった。それが思い出に変わる頃、ティックは本当の恋を知るのだろう。