掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

ちょっとおかしな古本屋

 コロンタという本が好きな青年には、ミライ書房という行きつけの古本屋があった。ある日コロンタはミライ書房に、マルカ・タマルカという作家の「沈黙の掟」という小説が置いてあるのを見て驚いた。なぜならこの「沈黙の掟」は今日が発売日であることを、コロンタが知っていたからだ。
 
 今日発売の本が古本屋にあるということは、それを売った人は買ったその日のうちに読破して、すぐに古本屋に売りに来たとしか思えない。コロンタも本を読むのは速い方だが、彼はこんなにも速く読んですぐ売る人がいるのかと驚いた。しかし無口なコロンタは特にそのことについて店の主人に尋ねたりはしなかった。
 
 コロンタは帰宅してからもミライ書房にあった「沈黙の掟」について考えた。もしかすると、あの本を売ったのは普通の人ではなく、出版関係の仕事についている人で、コロンタには良く分からないが、何らかの理由で、発売日にあの本を売ったのかも知れない。
 
 「沈黙の掟」のことが気になっていたコロンタは、翌日も仕事帰りにミライ書房に寄ったが、「沈黙の掟」はすでに売れてしまった様で、もう無かった。コロンタは新刊本が定価より安く売られていたのだから当然かと思い、もうそのことは考えないことにした。
 
 それから数日後、またミライ書房に寄ったコロンタは、店の主人が2階から何かの本を持ってきて棚に置いたのを見て、何気なくその本を手に取ってみた。その本はルック・カスタムリという小説家が書いた「恋人岬」という作品で、コロンタはこの作家のことを知らなかったので、どこの出版社かと思って扉ページを見たのだが、その出版社名に併記されている出版年を見て驚いた。
 
 なんとそこには1988年と書いてあったのだ。今はまだ1986年である。2年も先に出版されることになっている本が、なぜ今ここにあるのか?もしかしてプリントミスかもしれない。コロンタは何とも気になったが、それでも無口な性分が災いして店主に尋ねることができず、別の古本屋ではない本屋に行って、ルック・カスタムリの著書を探してみた。
 
 するとその本屋にはカスタムリの本が何冊かあったが、肝心の「恋人岬」は見つからず、本の中のカスタムリの作品リストを見ても、その様な作品は紹介されていなかった。そこでどうしても「恋人岬」のことが気になるコロンタはミライ書房に舞い戻ったが、そこにはもう「恋人岬」は無かった。
 
 そこでコロンタは、(彼としては)一念発起して、「恋人岬」のことを店主に尋ねた。「『恋人岬』という本はもう売れてしまったのですか?」すると店主は「『恋人岬』?その様な本は置いてございませんが」と答えた。
 
 普段は無口なコロンタだが、ここでは少し雄弁になった。コロンタは「いえ、さっき見ました。あなたが店の奥から持ってくるのを僕は見ていたんです」と食い下がった。しかし店主の答えは、「そんなものは知りません」の一点張りである。
 
 コロンタは悔しかったが、これ以上追及すると変に思われそうなので、諦めて帰った。あれは白昼夢だったのか…?コロンタがどう考えてみても、合理的な説明はつきそうにない。もはや「恋人岬」に取りつかれた状態のコロンタは、「恋人岬」の出版元の住所を調べ、手紙で問い合わせた。
 
 すると1か月経った頃に返信があり、なんとそれは幻の「恋人岬」の著者ルック・カスタムリ本人からの返信であった。コロンタはドキドキしながら封を開け、手紙を読んでみると、中身はこんな内容であった。
 
 「お問い合わせの『恋人岬』という作品は目下のところ出版予定はございませんが、確かに私が書いた作品です。だいぶ若いころに書いたもので、未だ出版には至っておりませんが、この度のコロンタ様からのお問い合わせを契機に、出版社の方に読んでいただく機会に恵まれまして、まだ決定はしておりませんが、もしかすると数年後には出版という運びになるかも知れませんので、どうぞご期待ください」
 
 それから2年後、あの「恋人岬」は本当に出版された。コロンタは待ちに待ったその日を迎え、発売日に購入し、その日のうちに読み切り、ミライ書房に持ち込み売却した。ほとんど会話したことは無かったが、店の常連のコロンタは当然店主に顔を覚えられており、2年前の「恋人岬」にまつわる出来事を記憶している両者の間には、ある種の緊張感が漂った。
 
 店主は言った。「『恋人岬』手に入れられたのですね」コロンタが応じる。「ええ…2年待ちましたよ」店主は感慨深げに本の表紙をさすり、「ふう…」とため息をついた。
 
 「2年は長いですねえ。私にとっても長い2年間でしたよ…」店主はそう言うと、店の奥に消えていった。