掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

潜伏と逃亡の人生

 ある寒い夜、暖房もない真っ暗な家の中で、男は缶詰を開けて、それを夕食の代わりとした。男は人目を避けて電気も付けずに、暗闇の中一人寂しい夕食の時を持った。
 
 そもそも、この家は電気が付かなかった。この家は、本来住む者のいない家だった。この家の主は数年前に他界していた。しかし、この家に潜む孤独な男は、それを知らなかった。
 
 彼はこの家の主とは面識がなかった。そして、この町に住む誰とも交流がなかった。この町に住む人は誰も彼のことを知らなかった。彼はこの家に潜伏する身であった。
 
 別に何か犯罪を犯したという訳ではなかったが、それでも彼は逃亡者であった。彼は一つ所に留まらず、町から町へと移り、ちょうどいい空き家を見つけて、そこに隠れ住むことを常としていた。
 
 そのような生活では、食べ物を見つけることも至難の業であったが、幸いこの家には、缶詰や保存食がたくさん残されていた。彼はそれをなるべく長く持たせるために、少しずつ食べていった。
 
 彼はあまりお腹が空かないのだ。だからこのような節約は、彼にとってはそれほどの苦ではなかった。彼は計画を立てるのが好きだった。そして、その計画を守るのは、もっと好きだった。
 
 彼は自身の潜伏生活に、一定の秩序が保たれていることをとても気に入っていた。こんな惨めな生活でも、それは彼の人生であった。彼の家族は、彼のことを死んだものと思っていたが、彼は生きていた。そして不法侵入という罪を犯してはいるものの、彼は正しく生きているつもりだった。
 
 しかし、それは彼がそう思っているだけで、本当は正しくなかった。彼は社会に助けを求めることも出来た。住む家のない者に、一晩のねぐらと温かいスープをただでくれるような場所もあり、そこに行けば彼はもっと人間らしい扱いを受けて、より尊厳を保つことも出来た。
 
 しかし彼はむしろその尊厳の為に、そのような助けを拒んできた。彼はそういった救いの手を差し伸べる活動家たちを軽蔑していた。そのような活動をする人たちには野心があった。それは将来政治家を目指すような人たちが、自分たちの履歴書に花を添えるために、落ちぶれた人たちを利用しているだけなのだ。
 
 世の人々はそれを知りながらも、彼らの活動を賞賛する。なぜなら、結果的にそれで助かる人が多く存在するからだ。
 
 しかしそれは世の人々が、落ちぶれた人たちのことを、彼らも心を持つ人間だということを忘れているからだろう。その慈善事業にいくらつぎ込もうが、政治家が落伍者を踏み台にして出世するなどということは、あってはならないことだ。
 
 空き家を転々とする男は、そのような偽善が跋扈する世の中で、無力な抵抗を続けていた。彼にはそんな偽善は受け入れられなかったし、その偽善を批判することもなく、見て見ぬふりの鈍感な社会の有り様は、なお受け入れ難かった。
 
 彼にとってこの世は偽善に対して寛容すぎた。空き家を転々とする男は正しく生きた。例え法律に違反しても、偽善という巧妙な背徳行為を罪にも定めない様な法律など、守る価値はないと信じていた。世の人々も、彼のような存在に価値を認めないので、お相子というところだろうか。