掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

「愛」なんて歌の文句だと思っていた

 夕食の後、フーラとカレナの姉妹は、ソファーに座ってテレビを見ていた。テレビでは一般家庭の家族がチームを作りゲームで競い合う「待ったなし!崖っぷちファミリー」という番組をやっていた。二人はこの番組を見ながら、それぞれ「家族」という言葉について考えていた。彼女たちにとって、この言葉は痛みの伴うものだった。

 姉のフーラは60代の今に至るまで独身を通してきた。一方妹のカレナは、結婚し2人の子どもをもうけ、その子どもたちが独立した後、夫に先立たれ、長年独り暮らしだった姉の誘いに乗り、彼女が生まれ育った家に帰り、姉と二人で暮らすようになっていた。 
 
 フーラは「家族」という言葉に、強いこだわりを持っていた。彼女は自分の育った家庭に、大いに不満を抱いていた。彼女の両親はすでに他界していたが、それでも彼女は両親が許せなかった。60歳を過ぎて、まだ自分の親に対する不満を引きずっていることを、自ら恥じてはいたが、彼女にとってはたかが60年くらいで、きれいに水に流せるようなことではなく、きっと自分は死ぬまでそのことについて不満を抱き続けるだろうと思っていた。 
 
 一方妹のカレナは、自分が子を持つ親という立場にあるからか、姉に比べれば両親に対しては寛容だった。ただやはり自分の育った家庭への不満は持っているので、基本的には姉に同調できた。両者に共通する認識は、自分たちの育った家庭には「愛」が存在しなかったということである。今でこそ同居して共に助け合う姉妹になれたが、子どもの頃はこの姉妹も不仲で、両者の間にも愛は無かった。
 
 彼女たちにはマケットという弟がいた。このマケットは幼少の頃から問題児で、十代の頃には何度も警察沙汰を起し、挙句の果てに16歳の時にバイク事故で亡くなっていた。フーラは弟が死んだ時、正直悲しみを覚えなかった。それは弟の度重なる愚行の故でもあったが、彼女はそれ以前の問題として、一度も弟を愛したことが無かった。
 
 それはカレナも一緒だった。しかし両者はお互いにそのことを確認し合ったことはなく、相手の本当の気持ちを知らなかった。その為二人とも心の奥で自分を責め、その裏返しとして努めて何でもない振りをして生きてきた。カレナは亡くなった夫に対してでさえ、その件に関する心のあり様を伏せていた。そして結婚したことのないフーラもまた、誰にも本心を明かしたことはなかった。
 
 彼女たちの両親は、生前ついに一度もマケットの死について触れることはなかった。問題児だったとはいえ、両親にとってマケットは実の子どもなので、その心のあり様は娘たちのそれとは異なるだろう。娘たちにとってもマケットに関する話題はあまり好ましくなかったので、二人とも両親の態度に不満はなかったが、一方で自分たちの家庭の歪さを嫌悪していた。そしてそれは強烈な自己嫌悪にも繋がった。
 
 フーラは結婚しなかったので叶わなかったが、カレナは結婚して子を持ったことにより、自分の育った家庭から与えられた「負の遺産」を、懸命な子育てによって、ある程度は消化できた。彼女の夫は良き夫であり良き父でもあったので、頼もしいタッグパートナーと共に、母カレナは善戦した。もちろん完璧な母親などではないが、カレナは自分の親としての職責は全う出来たと自負している。
 
 カレナの家庭にはあって、彼女の育った家庭には無かった「愛」は、どこから生まれてくるのだろう。そしてどこで失うものなのだろう。姉のフーラ共々認める愛のない家庭は、まず彼女たちの両親の間の感情に端を発しているのだろうが、その両親にもそれぞれ育った環境というものがあり、元をたどればキリが無い。
 
 愛なんて宗教の戯言か、軽薄な歌の歌詞に出て来る流行り言葉くらいにしか思わない人もいるかも知れない。しかしフーラもカレナも(そして恐らくはマケットも)、確実に愛に飢えた子どもたちだった。彼女たちの両親は子どもの前で喧嘩をしたこともなく、また離婚もしなかった。そういうことに苦しめられた子どもたちから見れば、フーラたちの家庭は羨ましいくらい円満な良い家庭である。
 
 しかし対外的な評価だけで家庭の良し悪しは計れないだろう。今フーラとカレナが見ている番組に出ている、仲の良さそうな家族だって、実情は誰にも計れない。そしてそれは内部の人間でさえ、見間違えている可能性がある。突然のバイク事故で亡くなったマケットを見て、両親が本心でどう思ったのかさえ、二人の娘は知らないのだ。そしてその両親もまた、二人の娘がどう思っているのかを知らずに世を去った。
 
 「あのお父さん、いい人そうだよね」番組の中のゲームで失敗した父親を見て、フーラは笑いながら言った。彼女の父親は決して失敗をしない人だった。いや自分の失敗を認めない人だった。そして当然の如く、他人の失敗にも不寛容であった。この父親は悪い人ではない。酒も飲まなければ、ギャンブルもしない。ただ人への思いやりが無かった。優しい性格なのに、愛を知らなかった。その責任は、誰にも問えない。

悲しみのケセラセラ

 ある朝新聞の朝刊にこの様な広告が小さく掲載された。「金運アップの秘密!私と握手しませんか?」その広告には広告主の電話番号・住所が記載してあり、24時間オープンとも書かれてあった。広告主の名はポレとなっていて、「成るように成る」という座右の銘までもが紹介されていた。  

 この広告を目にした多くの人は、こんなもの胡散臭いと相手にしなかったが、こんな広告でも真に受ける人はいるらしく、広告主の家を訪れる人間は存在した。彼らが実際会ってみると、このポレ氏は50代くらいの男性で、晩年のエルヴィス・プレスリーを彷彿とさせる様な容姿であった。  

 ポレ氏は来客があるたびに礼儀として握手をして家に招き入れたが、なぜか彼は銀色の手袋をしていた。そしてポレ氏は集まった10人の人たちを前にして、自己紹介を始めた。「初メマシテ、ラ・ポレと言イマース。私ノHand Powerは、金運あっぷスルヨー。コレデ人生変ワッタ人、ワタシ大勢シッテマース」 
 
 ポレ氏は(本人はなぜか「ラ・ポレ」と名乗ったが)外国語訛りがあり、少々聞きとりにくかったが、会話に不自由するほどではなかった。そしてポレ氏は、段ボール箱の中から古い一枚のレコードを取り出し、自分と握手をしたければ、このレコードを買って欲しいと訴えた。
 
 集まっていた人たちは「案の定怪しげなことを言い出したな」と警戒しつつも、ポレ氏にこう問いかけた。「あなたさっき、私たちと握手したじゃありませんか。それなのにレコードを買う必要があるのですか?」
 
 するとポレ氏は平然とこう言った。「コレ見テクダサイ。コノ銀色ノ手袋。コノ手袋ガ私ノHand Powerヲ封印シテマース。ソレガtrickネ。ハイ皆サン引ッカカリマシター。アハハハハハハハ」集まった人たちは、ポレ氏の人を食った態度に立腹したが、ここまで来て帰るのも悔しかったので、仕方なくレコードを買うことにした。
 
 人々はポレ氏に売りつけられたレコードのジャケットを眺めてみたが、そのレコードのアーティスト名は「ラ・ポレ」であり、ポレ氏のずいぶん若いころの写真が使われていた。要するにこれは、ポレ氏が昔出したレコードの在庫処分なのだ。レコードの中身は、往年のドリス・デイの名曲「ケセラセラ」のカバー「なるようになるよ」で、B面の「ホンキにするなよ」という曲は、ここにいるポレ氏以外の誰もが聞いたことのないような曲だった。
 
 「ケセラセラ、ナルヨウニナルヨ。サア皆サン、イヨイヨHand Powerノ登場デース。ジャジャーン、ハイ手袋ヲ取リマシタヨ!」しかし集まった人たちは、もはや何の感慨も抱かず、半ば諦めの心境で事態を注視した。そしてハンドパワーが解放された素手のポレ氏と一人一人握手をした。ポレ氏と握手をした感触は、ふわっとして柔らかく、何か温かみを感じさせるものがあった。
 
 しかしだからといって、そのことと金運アップは何の関係もない。ポレ氏の自宅に集まった人たちは、ポレ氏の笑顔に送られて、帰路に付いた。帰り際にポレ氏は、また一人一人と握手をしたが、その時には最初の様に銀色の手袋をはめており、ハンドパワーはすでに封印されていた。
 
 最寄りの駅まで歩きながら、偶然集まった10人の「被害者」たちは、ポレ氏に買わされたレコードを手に、愚痴を言い合った。「あれは立派な詐欺だよね。集団訴訟起そうか?」「しかしねえ、古いレコード一枚買わされただけで、大した被害じゃないからねえ。それはちょっと大げさなんじゃあ…」「分かってるさ。ちょっと言ってみただけだよ」
 
 寛容な「被害者の会」の面々は、まあポレとかいうオッサンもなんか憎めないとこあるし、ちょっと夢を見させてもらったと思えば安いもんだと言って、最後は皆笑顔でそれぞれの家路についた。そんな哀れな夢破れし者たちの一人、マーシャンという40代の男性は、自宅にレコードプレーヤーが無いこともあり、今日のことを早く忘れたかったので、真っ直ぐ家には帰らず、中古レコード屋に行って、ラ・ポレの「なるようになるよ」のレコードを、さっさと売ってしまおうと考えた。
 
 そして中古レコード屋の店主は、マーシャンが持ち込んだレコードを買い取ってくれた。しかもその買取価格は今日マーシャンがポレ氏に払った金額の3倍であった。マーシャンは心の中で歓喜した。嘘じゃなかったんだ。あの人と握手すると、本当に金運がアップするんだ…。
 
 ポレ氏は自らのレコードを、なぜ自分で中古市場に売らないのか。それはプロの歌手としてのプライドがあるからだろう。今日彼の家に集まった人たちは、彼にとっては歌手ラ・ポレのファンなのだ。いわばあれは握手権付きレコードというわけだ。高額な新聞広告を出して、「握手会」に集まった人数が10人。若かりし頃「ケセラセラ」を歌ったポレ氏は、「なるようにしかならない」この現実を、どう受け止めているのだろうか。

マジメ人間 GO!GO!GO!

 「そんなに不真面目な態度ばかり取っていると、いつか後悔するぞ」

 学校の先生にそう言われ、ポノリという16歳の女の子は、わが身を顧みた。私ってそんなに不真面目かな?私の不真面目なところって、例えば遅刻が多いとか、宿題をよく忘れるとか、掃除当番をさぼるとか、授業中に友達とお喋りするとか、黒板に落書きするとか…それくらい?
 
 でもよく世間ではマジメな人は損をするとか言うし、やっぱりマジメじゃダメなんじゃないかなあ。変な宗教に引っかかるのはマジメな人が多いっていうし、大体私の両親自体が、そんなにマジメじゃないし。でも私両親みたいにはなりたくない。
 
 もう少しマジメになってみようかな…。ポノリが少し自己反省をしだしたころ、彼女は本屋で「マジメのススメ」という本を見つけた。中を見てみると、この本の著者は、自ら「マジメ教室」を自宅で開いていて、著者の自宅は、ポノリの住んでいる所からそう遠くないことが分かった。
 
 ポノリはこの「マジメ教室」に興味を持って、そこに行かせてもらえないかと両親に相談した。するとポノリの母は、「そうねえ、確かに私もアンタにはもっとマジメになって欲しいわ」と宣った。どうやらこの母は、娘の評価に反して、自らをマジメな人間だと自覚しているらしい。
 
 ポノリはそんな母の態度に不満を感じたが、父親とも相談した結果、ポノリは「マジメ教室」に行かせてもらえることになった。父はポノリに「マジメになったニューポノリンに期待しているよ」と言ってくれた。「そのニューポノリンとかいう言い方自体が不真面目なのでは?」とポノリは思ったが、まあ単に言語センスの問題かと思い、それは軽く聞き流した。
 
 ポノリは「マジメ教室」に電話をして、土曜日の午前中に予約を入れた。そして土曜日の朝、ポノリは絶対に遅刻しない様に目覚まし時計を2個も使って確実に起床し、予約時間の10分前には、きちんと「マジメ教室」を経営する女性の家に到着した。
 
 「初めまして、ポノリと申します。今日の10時に予約を入れました」ポノリが努めてマジメに挨拶をすると、経営者の女性は笑顔で迎えてくれた。本日のマジメ教室には、ポノリの他に9名の生徒が来ていた。一クラス10名で行われたポノリにとっての初めての授業は、先生と一人の生徒が会話をし、先生があえて不真面目な態度を取り続け、それに対して生徒がいかにマジメさを貫けるかというテストをする形式で進められた。
 
 このレッスンには、先生の演じる不真面目な人物の態度を客観的に観察することで、不真面目な態度というものがどれだけみっともないかを感じてもらい、かつ先生の相手役の生徒には、マジメな人が相手の不真面目な態度にどれだけ不快な思いをさせられているのかを、実感してもらうことにあった。皆マジメにあくび一つせず授業に取り組んでいた。
 
 授業の最後に先生は言った。「マジメな奴ほど馬鹿を見るという社会通念は事実かも知れません。マジメな人は時に損をするかも知れないのです。しかしマジメな人には、確固たる『自分』というものがあります。もちろんマジメでない人にも『自分』はあるかも知れませんが、私の考えでは、自分でどう思っていようとも、確固たる『自分』を持てる人というのは、どこかで一本筋の通ったマジメさがあるのです」
 
 「マジメな人とお堅い人というのはよく混同されがちですが、実際は違います。マジメでかつお堅い人もいるでしょうが、マジメ=お堅いではないのです。お堅いイメージを避けるためにマジメでない振りをしている時点で、その人はマジメです。マジメなイメージを回避して要領よく立ち回っても、それは要領の良いマジメ人間です」
 
 「この教室に来られる皆さんは、周囲から不真面目な態度を指摘されるなどして来られたかもしれませんが、あなたたちは皆マジメ人間です。性根が不真面目な人は、誰に何を言われたって、こんな所にはやって来ません。私は皆さんが根本的にはマジメ人間だからこそ、提唱したいことがあります。それはマジメにマジメな人生を歩んで頂きたいということです。私は皆さんに決してマジメ人間の落とし穴にはまって欲しくはないのです。私はこの教室を通じて、皆さんにそこの部分を理解して頂きたいのです」
 
 性格としてのマジメさと、生き方としてのマジメさを一致させることは意外に難しく、落とし穴にはまったマジメ人間は大勢いるだろう。マジメにマジメな人生を歩むとは、マジメさゆえに人に傷付き倒れるリスクを回避し、マジメさゆえに社会の悪を過剰に憎んだりせず、マジメさゆえに重過ぎる荷を背負って生きないこと。
 
 「マジメな人生は、きっと良き友を生む!」ポノリはそんな不思議な確信を胸に抱き、帰路に付くのだった。

水筒の女神アテネちゃん

 「今週の課題は、物語の創作です。面白いお話を作ってみてください。お部屋の中だけで考えるのではなく、外に出て取材をしたうえで書きましょう。だからといって空想してはいけないということではありません。空想も大いに結構。ただ題材は出来るだけ取材活動の中から見つけましょう」

 今度出た国語の宿題は難しそうだ。取材なんてどこに行けばいいんだろう?頭の中の空想だけで、書ければよかったのにな。元々空想癖のあるモンザという少年は、宿題の為に公園に出掛けて取材活動を試みた。
 
 まず目に付いたのがベンチに座って編み物をする婦人だった。モンザはこの人をモデルに、第一の登場人物「モード」を作った。そして次にスケッチをする老人を見つけ、第二の登場人物「マエストロ」を作った。さらにジョギングをするお姉さんが目に入ったので、これを第三の登場人物「アテネ」とした。最後に一人でラップの練習をしている若者を見つけ、第四の登場人物「ヨーヨー」を作った。
 
 こうしてモンザの取材活動は終わった。後はこれらの人物を使い、物語を作ればいいのだ。ただそれは簡単なことではなかった。公園で作った四人の登場人物にどうやって接点を作り、全員を物語に絡ませるのか。そこでモンザはもう一つのキャラクターを加えることにした。それは四人の登場人物の創造主にして偉大なる神「モンザ神」である。
 
 「水筒の女神」作・モンザ
 
 春の暖かい日。それは地上のことであって、天国はいつも暖かい。そんな天国から、モンザ神は地上に下っていった。モンザ神は地上の人々を試すために、わざとみすぼらしい格好をして、公園をよろよろと歩いた。すると公園のベンチで編み物をしていたモードという女の人が、駆け寄ってきた。
 
 「大丈夫ですか?どこか苦しいのですか?」モンザ神は苦しそうな声で言った。「水を…のどが渇いて死にそうなのです…」そう言われてモードは焦った。「私はこんなときに水筒を持ってくるのを忘れました。どうやってあなたに水を飲ませられましょう」
 
 すると遠くの方に、水筒を肩に掛けながら公園でジョギングをするアテネが見えた。「ああ…あれはアテネ。水筒の女神。おじいさん、私は今からアテネを捕まえて、水筒を取ってきてあげます」モードはそう言うと、モンザ神を残して行ってしまった。モンザ神はポケットから手帳を取り出してメモした。「モード 親切度◎ 判断力△」
 
 するとそこへ画家のマエストロがやって来た。「おじいさん、大丈夫ですか?」モンザ神は今度こそ期待して頼んだ。「水が欲しいのじゃ」「すみません、神様。今日は水筒を持ってきてはおらんのじゃ」モンザ神手帳「マエストロ 親切度○ 存在感ゼロ」
 
 気を取り直したモンザ神が公園の中を歩いていると、一人で何かを喋っている男がいた。しかしそれはただの無駄口ではなく、ラップだった。このラップ男ヨーヨーは、一人フリースタイルでキメていた。モンザ神は再び人々に試練を与えた。「うう…のどが渇いた。死にそうじゃ」
 
 するとヨーヨーはラップ風に答えた。「オマエの問題、オレには論外、オレ水筒持ってねえし、ホレ水道だってないわけじゃねえし、勝手に水飲みなヨ、待っててバカを見なヨ、オマエが渇いてるウチに、オレは帰るぜウチに」モンザ神手帳「ヨーヨー 正直度◎ フリースタイル×」
 
 モンザ神は嘆いた。なんて意地悪で役に立たない民なんだ。こんな人たちは、もう一度洪水で流されてしまえ!しかしそこに女神が現れた。それは水筒の女神アテネちゃんだった。アテネちゃんは、困った老人を助けるために、息せき切ってモンザ神のところまで走って来たのだ。おお…女神!
 
 「モンザ神様、大変お待たせいたしました。これが命の水でございます」そしてアテネちゃんが飲ましてくれた水筒の水は、生き返るように、美味しかった。「アテネちゃん、お前は正直な娘だ。よってお前を天国に連れて行ってやる。お前は天国で水筒の女神アテネに生まれ変わるのだ」
 
 こうして一人の女神が生まれた。それはアテネちゃんが正直だったからであり、純真だったからである。(完)
 
 先生の評価「楽しく読ませてもらいました。モンザ君は神様だったのですね。しかしちょっと不公平な神様ですね。アテネちゃんにばかり優しすぎます。もっとみんなに親切にしましょうね。それが四人の登場人物を作った神様の責任感だと、先生は思います。次の作品にも期待してますヨ」

ある夫婦の愛と喧嘩の記録

 映画監督グーティ・トロッポは、自らの50歳の誕生日の翌日、自宅に撮影班を招き入れた。トロッポ監督の今度の映画はドキュメンタリー作品のようで、妻で歌手のポンポラ・トロッポは大した説明もなく、突然大勢の他人が自宅に押し掛けてきたことで、不快感を感じていた。
 
 トロッポ監督は近年ヒット作に恵まれず、落ち目と囁かれていた。今回の奇をてらった様な企画は、起死回生を目論むトロッポ監督の悪あがきにも見えたが、監督には監督の目算があって、彼は計画が予定通り進めば、今回はきっと面白い映画になると確信していた。
 
 カメラクルーの前で、監督は妻に懇願した。「ポンポラ、愛する妻よ、私の話を聞いてくれ」トロッポ監督のカメラを意識した大げさな喋り方に吹き出しそうになりながら、ポンポラは真面目を装って調子を合わせた。「私の愛するグーティ、可愛い坊や、何かお望みなら何なりと仰いませ」
 
 ここでトロッポ監督は今回の映画の企画内容を説明しだした。「ポンポラよ、君は素晴らしい歌手だ。君には久しぶりにコンサートをやってもらいたい。今回の映画は君のコンサートを、リハーサルから密着取材して、コンサートのフィナーレを映画のクライマックスにする、ライブ映画なんだ」
 
 まあ、なんてことかしら…ポンポラは夫の発想に全く斬新さが無く、実にありきたりな企画を立ててきたことに、呆れるのを通り越して危惧の念さえ抱いた。そんな映画で一流監督に戻れるとホントに思っているのかしら?私のライブ映画?今時奇特な懐メロファンだってそんな映画見ないわ…。
 
 「グーティ、私の坊や…あなた何か勘違いしてるわ。そんな映画に誰が興味を持つ?私のショーなんてただでさえ人が集まらないのに、誰が映画館に見に来ると思ってるの?生の私でさえ誰も見ようとしないのに…」
 
 するとトロッポ監督は、妻を諭すようにこう言った。「確かに君のショーは最近不入りだ。だがこれで最後となったらどうなる?ポンポラ・トロッポの引退コンサートだとしたら?」「…はい?」ポンポラの目つきは鋭さを増した。「誰が引退ですって?そんなこと誰に断って、勝手に決めて来たのよ?」
 
 トロッポ監督は妻をなだめるように、優しく説明した。「愛する君、別に引退コンサートをやったからって、もう二度とステージに立てない訳じゃないんだ。人の噂も七十五日と言うじゃないか。何年か経てば皆そんなこと忘れてしまうんだよ。それが大衆というものなんだ」
 
 「さっきから黙って聞いてりゃ、何失礼なことばかり言ってんのよ!私にも私のファンにも謝りなさい!そのことわざの使い方も間違ってんじゃないの?とにかくカメラを止めなさい!こんな会話記録しちゃって、人に見られたらどうするつもりなのよ、一体!」
 
 しかしトロッポ監督は、ひるまずに畳みかけた。「カメラ止めるな。カメラ回ってるか?奥さん、客観的に伺います。あなたは引退しないと仰るのですね?」「何が奥さんよ!何が客観的よ!カメラ止めなさいよ!」
 
 怒ったポンポラがカメラマンに掴みかかり、ようやく撮影は中断された。そして彼女は蹴散らすように撮影班を自宅から追い出した。ポンポラは夫のあまりにも不躾な態度に傷付いて泣き出してしまった。「何が引退よ…そんなの私が決めることでしょ…ひどい、ひどすぎる…」
 
 「ポンポラ、すまない…。しかしなあ、私にはもうこうするしかないんだ…。映画会社の社長がさ、俺が新しい企画を持ち込んだら、『こんなもんに予算が下りるか!お前はもう、カミさんの引退興行の記録映画でも作ってろ』なんて言うんだよ。だからさ、俺ホントにお前の引退興行の映画を撮ってさ。社長を見返してやりたかったんだよ」
 
 「まあ、あなた…そんな辛いことがあったの…。あなたの気持ちは良く分かったわ。どうせ私も開店休業状態だしね。けじめをつけて引退っていうのも悪くないかもね。私にもあなたにも稼ぎが無いんじゃ、生活出来ないものね。分かったわ、やりましょう。私の引退の花道、しっかりと記録して頂戴」
 
 それからトロッポ監督とポンポラは、常に撮影班を引き連れて行動を共にした。一か月に及ぶリハーサルが行われ、「さよなら、ポンポラ 思い出は歌と共に…」と題された引退コンサートも無事成功し、トロッポ監督の執念の結実ともいえる緻密な編集作業を経て、映画は社長を含む映画会社の幹部たちの前で披露された後、無事公開される運びとなり、興行成績も良かった。
 
 この映画を見て印象に残るのは、ポンポラの夫への愛と、監督の妻への信頼であり、離婚率の高い芸能界に鑑みるに、この映画の「キセキの宴」という馬鹿馬鹿しいタイトルも、あながち的外れではないと言えよう。

ちょっとおかしな古本屋

 コロンタという本が好きな青年には、ミライ書房という行きつけの古本屋があった。ある日コロンタはミライ書房に、マルカ・タマルカという作家の「沈黙の掟」という小説が置いてあるのを見て驚いた。なぜならこの「沈黙の掟」は今日が発売日であることを、コロンタが知っていたからだ。
 
 今日発売の本が古本屋にあるということは、それを売った人は買ったその日のうちに読破して、すぐに古本屋に売りに来たとしか思えない。コロンタも本を読むのは速い方だが、彼はこんなにも速く読んですぐ売る人がいるのかと驚いた。しかし無口なコロンタは特にそのことについて店の主人に尋ねたりはしなかった。
 
 コロンタは帰宅してからもミライ書房にあった「沈黙の掟」について考えた。もしかすると、あの本を売ったのは普通の人ではなく、出版関係の仕事についている人で、コロンタには良く分からないが、何らかの理由で、発売日にあの本を売ったのかも知れない。
 
 「沈黙の掟」のことが気になっていたコロンタは、翌日も仕事帰りにミライ書房に寄ったが、「沈黙の掟」はすでに売れてしまった様で、もう無かった。コロンタは新刊本が定価より安く売られていたのだから当然かと思い、もうそのことは考えないことにした。
 
 それから数日後、またミライ書房に寄ったコロンタは、店の主人が2階から何かの本を持ってきて棚に置いたのを見て、何気なくその本を手に取ってみた。その本はルック・カスタムリという小説家が書いた「恋人岬」という作品で、コロンタはこの作家のことを知らなかったので、どこの出版社かと思って扉ページを見たのだが、その出版社名に併記されている出版年を見て驚いた。
 
 なんとそこには1988年と書いてあったのだ。今はまだ1986年である。2年も先に出版されることになっている本が、なぜ今ここにあるのか?もしかしてプリントミスかもしれない。コロンタは何とも気になったが、それでも無口な性分が災いして店主に尋ねることができず、別の古本屋ではない本屋に行って、ルック・カスタムリの著書を探してみた。
 
 するとその本屋にはカスタムリの本が何冊かあったが、肝心の「恋人岬」は見つからず、本の中のカスタムリの作品リストを見ても、その様な作品は紹介されていなかった。そこでどうしても「恋人岬」のことが気になるコロンタはミライ書房に舞い戻ったが、そこにはもう「恋人岬」は無かった。
 
 そこでコロンタは、(彼としては)一念発起して、「恋人岬」のことを店主に尋ねた。「『恋人岬』という本はもう売れてしまったのですか?」すると店主は「『恋人岬』?その様な本は置いてございませんが」と答えた。
 
 普段は無口なコロンタだが、ここでは少し雄弁になった。コロンタは「いえ、さっき見ました。あなたが店の奥から持ってくるのを僕は見ていたんです」と食い下がった。しかし店主の答えは、「そんなものは知りません」の一点張りである。
 
 コロンタは悔しかったが、これ以上追及すると変に思われそうなので、諦めて帰った。あれは白昼夢だったのか…?コロンタがどう考えてみても、合理的な説明はつきそうにない。もはや「恋人岬」に取りつかれた状態のコロンタは、「恋人岬」の出版元の住所を調べ、手紙で問い合わせた。
 
 すると1か月経った頃に返信があり、なんとそれは幻の「恋人岬」の著者ルック・カスタムリ本人からの返信であった。コロンタはドキドキしながら封を開け、手紙を読んでみると、中身はこんな内容であった。
 
 「お問い合わせの『恋人岬』という作品は目下のところ出版予定はございませんが、確かに私が書いた作品です。だいぶ若いころに書いたもので、未だ出版には至っておりませんが、この度のコロンタ様からのお問い合わせを契機に、出版社の方に読んでいただく機会に恵まれまして、まだ決定はしておりませんが、もしかすると数年後には出版という運びになるかも知れませんので、どうぞご期待ください」
 
 それから2年後、あの「恋人岬」は本当に出版された。コロンタは待ちに待ったその日を迎え、発売日に購入し、その日のうちに読み切り、ミライ書房に持ち込み売却した。ほとんど会話したことは無かったが、店の常連のコロンタは当然店主に顔を覚えられており、2年前の「恋人岬」にまつわる出来事を記憶している両者の間には、ある種の緊張感が漂った。
 
 店主は言った。「『恋人岬』手に入れられたのですね」コロンタが応じる。「ええ…2年待ちましたよ」店主は感慨深げに本の表紙をさすり、「ふう…」とため息をついた。
 
 「2年は長いですねえ。私にとっても長い2年間でしたよ…」店主はそう言うと、店の奥に消えていった。

マジシャンに憧れて…

 ポップデュオ「マジック&モンキー」のマジックは、二千人の観客を前にして、謝罪の言葉を述べた。
 
 「どうもすいません。また弟が遅刻しておりまして…。弟が到着するまで、僕の下手な手品をお楽しみください」すると観客たちは苦笑まじりに「またか…」と思いながらも、マジックに拍手を送った。
 
 真面目な兄のマジックと、遅刻常習犯の弟モンキー。しかし実際のところ、これは作られたイメージであり、本当は真面目なモンキーは、イメージの為にわざと遅刻することを、兄に強要されていた。
 
 開演時間後、人目をはばかりこっそりと会場入りしたモンキーは、兄の指定した「到着時間」まで、ファンからの差し入れのバナナをモグモグと食べながら、楽屋で人生について考えていた。
 
 モンキーの遅刻の理由は、ひとえに兄マジックのわがままにあった。シングル「モンキー・マジック」がヒットして名前が売れ出すと、マジックは「俺はステージで手品をやりたいから、お前は少し遅れて来い」と言い放ったのだ。
 
 歌が上手いのはマジックで、コンサートの曲目もほとんどマジックのリードヴォーカル曲で占められ、モンキーはコーラスをしたり、マラカスを振ったり、モンキーダンスを披露したりしていた。
 
 一見すると、ステージにモンキーがいなければいけない理由はほとんどなく、マジック一人でもステージは成立しそうなのだが、ミュージシャンなのに手品が大好きなマジックは、弟の不在を口実に、お得意のマジックを披露したがった。
 
 「急にバナナが食べたいと言い出しまして…」「急に人生について考えたいと…」「急にいい曲が思いついたらしく…」ステージ中にモンキーが楽屋に引っ込む理由は様々で、マジックはその度に「つなぎの手品」を披露して、一人満足していた。
 
 マジック&モンキーにおけるモンキーの存在理由は、彼がすべての曲を作曲しているという事実にあった。この作曲については、マジックはいくら努力してもいい曲が書けず、頑張って作った曲を披露すると、スタジオからは失笑が漏れるほどであった。
 
 マジックがマジック&モンキーを解散出来ない理由はそこにあり、本当は手品&歌謡ショーで独立したいのだが、それをするにはまだ実績が無さ過ぎて、将来のことを考えると、それは無謀と言えた。
 
 それにファンはモンキーが好きだった。14曲入りのアルバムの中で2曲しかないモンキーのリードヴォーカル曲は人気があったし、歌唱力では兄に劣るかもしれないが、モンキーの声が好きな人も多かったのだ。
 
 そんなことをやっているうちに、マジックの手品コーナーはファンの間で定着し、事実上MCの代わりの様になってきた。だからモンキーもわざわざ遅刻する必要がなくなり、「それじゃあ僕はちょっと人生について考えて来ますので…」などと言ってステージから下がり、楽屋で休憩していれば良くなったのだ。
 
 マジックは曲作りは苦手だったが、色々と才能のある人で、彼の披露する手品は玄人はだしであり、ファンの人でなくとも一見の価値のあるレベルにまで達していた。そして彼はさらに手品に傾倒していき、「マジック&トリック」という手品に関する本を書き、それがそこそこ売れるほどであった。
 
 当初マジックの手品コーナーはファンの動揺を誘い、何となくざわざわとした雰囲気の中で行われていたが、今や市民権を得たマジックショーは、バックバンドがおなじみの「オリーブの首飾り」を演奏する中、ファンの手拍子に包まれながら披露するまでになった。
 
 実直な弟は、そんな兄の為に「イリュージョン」という新曲を書き下した。それは少年の頃から手品に凝っていた兄をモデルにした主人公が、夢を叶えていつしかエンターテイナーになるという内容の歌で、一般的にもヒットしたし、マジック&モンキーをずっと応援してきたファンからは絶大な支持を得た。
 
 ファンから「マジモン」という愛称で呼ばれるマジック&モンキーのコンサートでは、今日も「オリーブの首飾り」をバックにマジックショーが行われている。そして、マジックは弟が自分の為に書いてくれた「イリュージョン」という曲の意図を誤解し、いつかはマジック&モンキーのコンサートで大掛かりなイリュージョンを実現させると宣言した。
 
 今後モンキーはより深く人生について考えなければいけなくなりそうである。