掌編小説ノート

3分で読める、お手軽ストーリー

消費されていく教師と生徒

 「シーモン先生は今日は学校をお休みします。代わりに教頭先生が授業を行います」教室における朝一番の教頭先生の報告に、元気のいい男子生徒のトッピンが質問した。「先生は病気ですか?」すると教頭先生は、一瞬思案した後こう答えた。「先生はご病気ではありません。しかし元気だとも言えないでしょう」

 

 その日の夕方、トッピンはシーモン先生が学校を休んだ理由を知った。シーモン先生は地元テレビ局のニュース番組に出ていた。シーモン先生の5歳の長男が行方不明になっていたのだ。誘拐事件の可能性もあるが、今のところ犯人からの連絡はないと、メディアは報じた。

 

 シーモン先生と奥さんは、記者たちの取材に対して神経過敏になっていた。特に奥さんはだいぶ心労が重なっている様で、玄関前での取材対応の途中で家の中に引っ込んでしまった。トッピンが複雑な気持ちでテレビを見ていると、同じ学校の男の子二人がカメラに映りこんでいた。

 

 「あいつら、こんな時に…。明日会ったらぶん殴ってやる」トッピンは二人の男の子の無神経さが許せなかった。トッピンが夕食の時間にそのことを両親に話したら、彼の母親は「まあ、困った子たちねえ」と嘆いたように言い、父親は「そうだ!そんな奴らぶん殴っていいぞ!」と加勢した。

 

 翌日トッピンは有言実行とばかりに、昨日テレビに映っていた上級生二人を問い詰めたが、上級生は更にトッピンの神経を逆なでるようなことを言った。「シーモンは子どもを山に捨てて来たんだよ。そのうち離婚するだろうな。何しろあいつは不倫してやがるんだからな」

 

 シーモン先生の不倫の噂は、トッピンも聞いたことがあった。というよりも、彼は現場を目撃したことすらあった。不倫の相手は同僚の女性教師で、トッピンはシーモン先生がその女性教師と二人で、学校から帰るところを見たのだ。しかしトッピンはそんなのは幼稚な邪推に過ぎないと信じていた。

 

 それは男の子と女の子が一緒に下校したら、それだけでもうデキてるとか言って噂するのと同じくらい、子どもっぽい発想であった。もし本当に不倫をしていたら、逆にそんなあからさまな態度は取らないだろうとトッピンは思っていた。

 

 しかし大の大人の大マスコミは、そのネタに食いついた。シーモン先生の長男が行方不明になって10日ほど過ぎた頃、世間の注目を引きたいテレビ局は、ある日を境に各局一斉にシーモン先生をバッシングしだしたのだ。そしてその材料として用いられたのが、例の不倫話であった。

 

 可哀そうに何の罪もない(とトッピンは信じている)件の女性教師は、それ以来学校に来なくなってしまった。そしてこの様な事件が長引いたときの常として、今度は両親犯人説が浮上した。マスコミはそれを何の躊躇いもなく報道した。

 

 学校の周辺には、連日マスコミが張り付いて、生徒からコメントを取ろうと躍起になっていた。生徒たちは学校の先生から、マスコミには何も答えてはいけないと言われていたのだが、シーモン先生の不倫話を最初に流したとされる生徒が校内でヒーローになっている現状、子どもたちの口は、実に軽やかであった。

 

 何かネタを取って来いと厳命されている記者たちも気の毒ではあるが、たかが子どもの流した未確認情報が、朝や夕方のニュースでトピックとして報道されているのを見て、実際の取材現場を知るトッピンは、マスコミの人たちの浅はかさに心底呆れ、強烈な不信感を抱いた。

 

 お金やお菓子で釣ってまで子どもから面白コメントを取ろうとするマスコミ。世間の注目は何の変化もない児童の行方不明という案件から外れ、子どもたちが発する低次元な暴露話の方に移っていた。この事件に関心を持つ者は、今や学校一の美少女の顔と名前に加え、その子が付き合っている彼氏の名前まで知っているのだ。

 

 そんな学校全体が浮かれた状態にある中、事件の核心部分に重大な変化が起こり、お祭り騒ぎの子どもたちは、突然頭から冷や水を被せられた。シーモン先生の長男の遺体が発見されたのである。皮肉にも、トッピンと喧嘩した上級生の予言は当たり、児童の遺体は山中で発見された。

 

 遺体の状況から、この事件は殺人事件と断定され、警察の懸命な捜査の結果、犯人は逮捕された。マスコミは先生の自宅に群がり、騒ぎが収まらない為、先生と奥さんは不本意ながらもマスコミの取材に応じた。そうでもしない限り騒ぎは永遠に続くと思われるほど、この事件の瞬間最大風速は凄まじいものがあった。 

 

事件が終わり町も学校も平穏を取り戻した。シーモン先生も噂の女性教師も、今は共に職場復帰している。夕食の席でトッピンがそのことを両親に報告すると、食卓の話題はやがて新しいニュースへと移っていった。

個室で生かされるV.I.P.

 24時間を個室で一人きりで生活出来るなんて、いい話だと彼は思った。マガンという20代の男が世俗の空気の中にいた頃、彼は転落していく人生の中で、最後に許されない罪を犯した。そして紆余曲折を経て、今彼は自分だけの個室を与えられ、その場所で生活している。

 

 それは彼の人生が終わるまで続く話であった。生活の中で楽しみと言えるのは、まず食事である。間食は出来ないので、食事の時間は毎度空腹であった。メニューはそれなりに種類が豊富で、彼は食事が届くたびに、その献立を確認し一喜一憂していた。

 

 社会の為に何も貢献していない彼にとって、これだけでも楽しみがあるということは、贅沢なほどに恵まれていた。そして彼の楽しみはもう一つある。彼の部屋には何十冊も本が積まれてあった。彼はそれらを自由に選んで読めるのである。読書好きの彼にとっては、これもまた大きな楽しみであった。

 

 部屋には窓が無いので外は見えない。彼は自分がどんな地方にいるのかも知らなかった。実際のところ、彼は死ぬまでここにいるのだから、ここがどこであろうと関係はなかった。しかし彼は何度かそれについて尋ねたことがある。彼には一人だけ接触可能な人物がいた。

 

 それは彼の部屋を毎日掃除してくれる中年の女性だった。年齢はマガンの母親とたいして違わない様に見えた。この女性はたいして汚れてもいないのに、毎日床を丁寧にモップ掛けしてくれた。彼女はマガンとは一切口を利かなかった。マガンも通常は彼女に話しかけたりはしなかった。

 

 何でそんなことをしたのか自分でも分からなかったが、マガンは一度だけ彼女に襲い掛かったことがあった。音を立てずに忍び寄り、背後から彼女に抱きついたのだ。すると彼女は見事な身のこなしで、マガンを部屋の隅まで投げ飛ばした。それ以来マガンは、おかしな真似をしなくなった。

 

 人間が人と一切喋らずに自らの心のバランスを保つのは、意外に難しい。マガンは俗世間にいた頃から、その難しさをよく知っていた。マガンは掃除の女性に投げ飛ばされてから、彼女を疎むようになった。それでも掃除の女性は、毎日マガンの心のバランスを崩しにやって来た。

 

 マガンにはなぜ彼女が毎日来るのかが分からなかった。そして感情を表さずに黙々と掃除をする女性に、苛立ちを感じていた。彼女さえいなければ、マガンの世界はパーフェクトだった。しかし彼女はマガンの神経を逆なでるように、毎日部屋に入って来た。

 

 そんな生活が続くうちに、マガンにはもう一つのイライラが加わった。何のために存在するのか、マガンが不思議に感じていた部屋の壁に設置されたスピーカーから、時々大音量で国歌が流れるようになったのだ。この国歌はいつ流れるのか決まっておらず急に始まるので、マガンにとっては何とも癪の種であった。

 

 やがてマガンの生活にははっきりとした変化が訪れた。ある日いつもの様に部屋に入って来た掃除の女性が、マガンの部屋にあった本を一冊ずつ寄り分けて、三分の一ほどをマガンには無断で持ち去っていったのだ。女性が去った後調べてみると、持ち去られたのは皆外国の作家の本で、国内の作家の本は全部残っていた。

 

 次の変化は食事に現れた。以前と比べて明らかに食事の量が減ったのだ。それにメニューもあまり種類が無くなり、内容も手抜きが感じられた。食事の届けられる時間も著しく遅れる場合があり、本の事と言い、マガンは自分の生活から少しずつ楽しみが奪われていくことに、ストレスを感じていた。

 

 やがて例のスピーカーは、国歌だけでなく人の声も流すようになった。その声の主はマガンの父親であった。マガンの父親は、スピーカーを通して、今この国は戦時下にあり、国民の結束が敵を蹴散らす力になると、力強く訴えていた。マガンは久しぶりに聞いた父親の声に懐かしさを覚える自分を恥じた。

 

 ある日いつもの掃除の女性が、初めてマガンに話しかけた。彼女がここに来るのは、今日が最後になるという。マガンはこの女性に言いたかった、ただ一つのことを訴えた。それは以前マガンが彼女に働いた狼藉に関する、自分なりの自己分析の成果であった。

 

 「こんなこと言っても嘘だと思われるかもしれませんが、あれはあなたの為にやったことなのです。だって僕にとってたった一人の女性に対して、何の関心も示さなければ、僕はあなたに逆に失礼な態度を取ることになる。僕はあなたには女性としての魅力があるということを、知って欲しかっただけなのです」

 

すると女性はマガンに対して、「そう、あなた優しいのね。どうもありがとうね」と言って、初めてマガンに対して微笑みを見せ、やがて退室して行った。それが、マガンの見た最後の人間の姿となった。

悩める乙女のベビードール

 タイナは自らのノートを覗き見た。それは彼女の作曲の為のアイデアノートであった。彼女が所属する「ベビードール」という10代の女の子5人で結成されたアマチュアバンドでは、既成の曲のコピーに飽き足らず、オリジナル曲を作ろうという機運が高まっていた。

 

 そしてベビードールのメンバーは、次の日曜日までに最低一人一曲ずつ作って、それを持ち寄ろうという約束を交わしていた。バンドのメンバーは、まだ誰も他のメンバーの自作曲を聞いたことが無かった。それだけに彼女たちにとって、メンバーの前で自作曲を披露するということは、大変なプレッシャーであった。

 

バンドではベース担当のタイナも、以前からオリジナル曲の必要性を感じてはいたのだが、まだちゃんと曲として成立する作品を書き上げたことは一度もなかった。しかしそれでも彼女は曲作りと悪戦苦闘して来て、取り合えず曲のヒントになるちょっとしたアイデアだけは、ノート一冊分溜まっていた。

 

 これはバンド存続の危機になるかも知れないと、タイナは思った。もし約束の日までに誰も曲を書いて来なかったら、バンドのモチベーションは一気に下がってしまうかも知れない。せめて私だけでもまともな曲を作っておかなくては…。それがバンドリーダーとしての私の役目だと、彼女は思った。

 

 しかし、彼女は頼りにしていた自らのアイデアメモ集を見て、我ながらがっかりした。それは自分で描いたはずなのに、そのほとんどは彼女にとっても意味不明で、なぜこんなことを書いたのかと自らに問いたくなるような「アイデア」ばかりであったからだ。

 

 カクテルに酔って恋シテル。お高いプライドはブラインド。煙草の煙がニコニコチン。恋する二枚目、レッドカード。ゴーゴーベビードール。今期末は高気圧な世紀末。アップルパイでお腹いっぱい。ヘイヘイベビードール。マイネームイズ、タイナ。ホイナ・ホイナ。情熱のチャチャチャで、アチャチャな二人。

 

 きっとこれらは、書かれた当時は何か曲のイメージの伴った言葉だったのであろう。しかしだいぶ時間が経ってから見ると、これを書いた当時のイメージが甦ってこない。比較的最近書いたものでさえ、今のタイナには何のヒントも与えてくれなかった。

 

 これは下手にこのノートを活用しようとするよりは、諦めてまた一から考え直した方がいいかも知れない。しかしもしかすると、このゴミの山からダイヤの原石が見つかるかも知れない。タイナはギターを持ち、適当なコードを鳴らして歌ってみた。「アップルパイで~」タイナはちょっと歌ってみて、すぐに止めた。

 

 まずちゃんと歌詞を作らなくてはだめだ。このノートに書かれてあるのは、断片的なフレーズだけだ。作曲をするのだから、この断片的なフレーズからイメージを膨らませて、一つの曲にしなければならない。では何を基本のフレーズとして用いようか?

 

 「マイネームイズ、タイナ」と「ホイナ・ホイナ」は、何かつながりそうな気がする。「ゴーゴーベビードール」と「ヘイヘイベビードール」も併用できそうだ。このアイデアメモたちは、上手く並べれば一つの歌詞になるかも知れない。足りない部分は後から補って、付け足せばいい。

 

 タイナはあれこれと思案した挙句、曲のタイトルを「My Name is Tina」とした。初めての自作曲だから、自分のことを歌ってみようと思ったのだ。カクテルなんて飲んだことないし、煙草も吸ったことないけど、そこは想像で補おう。

 

 タイナは段々と作曲の手順を掴んできた。彼女はギターで適当なコード進行を決め、その曲に歌詞を乗せていった。最初見た時はとても役には立ちそうにないと思えた「アイデアメモ」も、作曲に慣れてくると、上手く活用できるようになった。

 

 こうしてタイナは、生まれて初めての自作曲「My Name is Tina」を書き上げた。タイナにはこの曲を人に聞かせたらどう思われるのか、見当も付かなかった。笑われるかもしれない。他のメンバーはもっといい曲をたくさん作ってくるかもしれない。彼女の心配は尽きなかった。

 

 いよいよ発表の時が来た。メンバーはくじ引きで決めた順番で、一人ずつ自作曲を披露していった。タイナは皆が予想以上に上手いので、内心焦っていた。この状況で自作曲を披露するのは、相当な勇気が要った。しかしタイナは逃げ出さずに、懸命に自作曲を披露した。そして、それが良かった。

 

 タイナの歌は、既成の曲の焼き直しとでも言うべき他のメンバーの曲とは違い、本当の自作曲だった。今器用さを覚えても、バンドに利益はない。彼女は自らの恥と引き換えに、バンドを一歩前に前進させたのだった。

今ここにいることに意味など無い

 駅から出ると、そこには見知らぬ光景が広がっていた。それはありふれた風景ではあったが、日が沈みかけた夕暮れ時の、美しい町並みであった。トンボリという10代の少年は、この町が気に入った。初めて降りた駅の周辺に広がる町の賑わいに、トンボリはなぜか懐かしさを覚えた。

 

 幼い頃自分もこんな空気を肌で感じながら生きていた気がする。まだ世界が狭くて、そこを縦横に走り回っていた頃を思い出す。過去の思い出は美化されるというが、それでもトンボリにとって、それは掛け値なしの美しい日々であった。いったいどこの誰があの美しい世界を破壊してしまったのだろう。

 

 そんなの自分に決まってるじゃないかと、トンボリは思った。人間として避けようのない成長。繰り返されるたびにつまらなくなる誕生日会。広がりを見せる世界は、トンボリの期待を裏切った。無慈悲な時の流れは、まるで公害の様に彼の世界を汚していく。それが資本主義社会の基本原理だとでも言わんばかりに。

 

 この町には知っている人が誰もいない。ここはトンボリの生きる世界ではないのだ。ここにはここの生活がある。この町の住人にとって、この場所は当たり前の空間であろう。トンボリには、それが羨ましかった。自分もこんな町に住んでみたい。知らない町を歩く異邦人は、たまたま出会った町に、最大の賛辞を送った。

 

 トンボリがあてどもなくフラフラと歩いていると、一軒のケーキ屋が目に止まった。薄暗い景色の中で、その店は暖かみのある明るさを保っていた。トンボリがふと店の中を覗くと、店内には一人の男性と、10歳くらいの女の子がいた。両者が店のカウンターの中にいることから、あの二人は店主とその娘なのだろうとトンボリは想像した。

 

 ケーキ屋の女の子。それはトンボリに、ある郷愁の様なものを感じさせた。トンボリが昔好きだった女の子も、家はケーキ屋だった。今頃あの子はどうしていることだろう。あの当時から今に至るまで、ずっと同い年の女の子。しかしトンボリと彼女の人生は、全く交差することもなく、右と左に分かれて行った。

 

 この知らない町のケーキ屋の女の子は、一体どんな人生を送るのだろう。トンボリにとって、この少女は羨望される側にいて、彼は羨望する側にいた。あの少女はトンボリに夢を与えるが、トンボリは彼女に何も与えられない。トンボリにとって、彼とケーキ屋の女の子のどちらにより高い存在価値があるのかは明白だった。

 

 たとえ彼女が若くしてお母さんを病気で亡くしたとしても、トンボリは彼女には勝てない。たとえ彼女が若くして病魔に侵されても、トンボリは彼女には勝てない。そして彼女の儚い命が、若くして散ったとしても…。トンボリは彼独自の、何の根拠もない歪んだ価値観に照らして、勝手に自らの敗北を認めた。

 

 それは弁解無用の大敗北であった。この戦いの勝者は、世の中にたくさんいる。敗残兵は消え去るのみ。トンボリは道路を隔てた歩道からじっとケーキ屋を覗き込む、自身の異様さにようやく気付き、後ろ髪を引かれる思いで、また歩き出した。そして数分歩くと町は突然賑わいを失い、人気のないバス停がそこにはあった。

 

 トンボリはこのバス停でバスが来るのを待った。彼はバスを待つ間、不思議な胸の高鳴りを感じていた。日常にはないこの感覚。この感覚こそがトンボリをここまで来させていた。そしてバスに乗れば、このドキドキはクライマックスを迎える。一瞬先ほどのケーキ屋の少女の姿が脳裏をよぎった。なんて汚い大人なんだ!

 

 バスの中には、自分を含めて客が3人しかいなかった。トンボリは他の客から一番遠い席を選び、ただひたすら窓外の景色を眺めた。民家やアパート、そしてときどき場違いな犬猫病院やビデオショップが目に入る。ここにもあそこにも、それぞれの人生がある。しかしそこには羨望の眼差しは向けなかった。

 

 ついにバスの乗客は自分一人。外の景色はいよいよ寂しくなり、夜の闇も手伝って、そこは地の果ての様な絶望感を醸し出していた。「お客さん、終点ですよ」バスの運転手は、運転席からこちらを見ずにそう宣告した。ここで終わり…?一瞬バスを降りずに、また折り返して町に戻る選択肢が頭に浮かんだが、そんなことをする勇気は彼には無かった。

 

 なんだここは?そこはまるで埋め立て地の様な、独特の寂しさを感じさせる場所であった。バスが行ってしまうと、辺りはより暗くなった。トンボリは懸命にバス停の時刻表を見た。今日ここから出るバスは、まだ3本ある。帰りの心配か?なら何でこんな所にやって来た?トンボリは我が身が惨めに思えてしょうがなかった。

 

 どうせ帰るんだ。それは初めから分かっていたことだった。トンボリはバス停のベンチに腰を下ろした。誰かを心配させたい訳じゃない。同情を買うための芝居でもない。トンボリは自分を襲ってくる情け容赦ない追及に対し、一つ一つを否定し続けた。今の彼には一つ心配がある。帰りのバスの運転手が、さっきのバスと同じ人だったらどうしよう?運転手の意地の悪い嘲笑が目に浮かぶようだ。あの胸の高鳴りが、また始まった…。

ひっそりと特撮オールナイト!

 最近の子どもは知らないだろうが、かつてこの国には子どもたちを熱狂させた「特撮映画」という文化があった。それを知らないことにかけては、今時の子どもであるギャロという男の子も例外ではなかったが、彼は父親に連れられて「特撮の父・ガンパイク監督生誕100周年記念 あの頃、僕らには未来があった…」という催しを訪れ、初めて特撮映画の世界に触れた。

 

 そこには今は亡きガンパイク監督の作品で使われたミニチュアの模型とか、公開当時の映画のポスターなど、今となっては貴重な資料の数々が展示され、「あの頃の少年たち」は感慨深くそれらを観覧し、往時を懐かしんだ。そして今どきの少年ギャロにとっては、これらは初めて触れる文化であったが、彼にとってもこれらの資料は大変興味深く、この世界のことをもっと知りたいと思うようになった。

 

 帰り道、ギャロは父親と今日の感想を語り合い、今からでもガンパイク監督の作品を見てみたいという思いで一致した。そんなことがあってから、ギャロの学校が夏休みに入った頃、彼の父親は新聞のテレビ欄を、嬉々として息子に示し、あのガンパイク監督の作品が放送されることを告げた。それは深夜番組で、週に一回放送されている「深夜の映画館」の「真夏の夜のガンパイク特集」という企画によるものだった。

 

 今回の企画で放送されるガンパイク監督作品は三つで、一晩で一気に三本放映するとのことだった。今回取り上げられるのは「ゴーゴン三姉妹の呪い 恐怖の毒蛇地獄」「スヴァラ湖の謎 人喰い恐竜スヴァラシー」「異星人ヴィーナス 金星から来た女神」の三本であった。ギャロはぜひ見たいと思ったのだが、その番組が深夜番組というのが問題であった。なぜなら彼の家にはまだビデオデッキが無かったのだ。

 

 ギャロは家庭にビデオデッキを持っている友人に録画して見せてもらえないかと頼んでみたが、高額なビデオテープで「そんなもの」を撮るのは勿体ないと言われ、断られてしまった。ちなみに現時点でビデオソフト化されているガンパイク監督の作品は一本も無かった。ギャロはこんな貴重な作品がただ放送で流されて消えて行ってしまうという事実に納得がいかなかった。

 

 さてこうなると、ギャロがガンパイク監督の作品を鑑賞するには、テレビのオンエアで見るしかない。彼の父親は子どもに夜通しテレビを見させることに反対する母親を説得して、このチャンスがいかに貴重なのかを切々と訴えた。母親は最後まで特撮映画の価値を理解しようとはしなかったが、夏休みでもあるし、父と息子が仲良くするのは良いことなので、今回に限り徹夜を許可してくれた。

 

 やがて夜も更けて、くだらない映画の為に徹夜する親子の姿を微笑ましく感じながらも、さっさと眠りについた母親を尻目に、特撮映画世代の父と、特撮を知らない子どもたちの一人だったギャロは、お楽しみの「深夜の映画館」がいよいよ始まるのを受けて、興奮しきりであった。番組では司会者であるヴェーダという人物が、これから放映される「ゴーゴン三姉妹の呪い 恐怖の毒蛇地獄」という映画について5分ほど解説をした。

 

 ギャロはこのヴェーダという人を始めて見たが、父親によるとこのヴェーダという人物は、父親と同じく特撮映画全盛期に子ども時代を過ごし、大抵の人がある程度の年齢になると別のことに興味を抱くのに対し、この人物はスポーツ選手にも流行歌手にも目もくれず、ひたすら特撮映画に情熱を注いできた人で、やがて衰退していった特撮映画界を最後まで見捨てず、歴史の一証人として特撮映画の素晴らしさを今に伝える語り部の様な存在とのことだった。

 

 「深夜の映画館」は、普段は別の映画解説者が司会をする番組なのだが、今回は特撮映画の特集ということで、ヴェーダは特別ナビゲーターとして番組に招かれていた。ギャロはこのヴェーダという人物の語り口を非常に気に入り、たった5分なのにこれから始まる映画への期待度を十分に高める彼のプレゼンにいたく感銘を受けた。自分はもう特撮映画の魅力に抗えない。ギャロはそんな確信を抱いた。

 

 やがてヴェーダの解説は終わり、本日の1本目「ゴーゴン三姉妹の呪い 恐怖の毒蛇地獄」が始まった。しかしギャロは始まって30分経った辺りで、ややこの映画に対する興味を失いかけていた。ギャロは子どもだからそこまで考えなかったが、この映画は誰が見ても低予算で作られたものにしか見えなかった。開始から30分の間、若い男女の恋路とか喧嘩別れとかが描かれるばかりで、タイトルにあったゴーゴン三姉妹など、ワンカットですら登場しなかった。

 

 名匠ガンパイク監督の真骨頂である特撮の妙を楽しめるのは映画の後半に入ってからで、ギャロはその頃にはもう眠ってしまっていた。父親はちゃんと起きて見ていたので、息子を起してあげようかとも思ったが、彼も本当は子どもが夜更かしをするのは良くないと思っていたので、あえてそのまま寝かせておいた。

 

 翌朝ギャロが目を覚ますと、彼は自分のベッドの中にいた。「ああ…ボク寝ちゃったんだ」ギャロは悔やんだが、またいつか機会はあるだろう。特撮の神様ガンパイクは、今日も天国から子どもたちを見守っている。

歌姫の壮絶なる死の真相

 「我々はついに宝を発見しました。しかしその為に大切な仲間を失った。私たちは邪悪な白猿と戦って散っていった、歌姫アリナの冥福を祈りたいと思います」

 

 宝の地図を手にしたポッド隊長は、射撃王ビートン、格闘の覇者カンダム、呪術師タルム、そして歌姫アリナの5人で探検隊を結成し、絶海の孤島モカハマに向かって飛行機で飛び立った。向かう先には、島を守る体長10メートルの邪悪な白猿が待っている。成功か死か、5人のメンバーは決死の覚悟で、人生の大勝負に挑んだ。

 

 絶海の孤島モカハマに着いて、一行は取り合えず海岸にキャンプを張り、そこを基点に宝の地図に従って、探索を始めることにした。夜たき火を囲んで皆がお喋りをしていると、歌姫アリナはおもむろに歌を歌い出した。それはアリナの故郷に伝わる、若い女の悲しい恋の歌であった。皆押し黙ってそれを聞いていた。

 

 歌い終えると歌姫アリナは、この歌についてこう語った。「私の一生は、一幕のお芝居。悲しい恋のお話。私はねえ、この歌のそんなところが好きなのさ。私の人生も、こうありたいもんだね。一幕のお芝居にふさわしい死に様。私はここで命を落としたっていいと思ってるんだ。この絶海の孤島に潜む邪悪な白猿。そいつに襲われたらイチコロさ。そんな終わり方だったら、私は満足だね」

 

 次の朝、探検隊は地図を慎重に確かめながら、森の奥へ進んでいった。すると遠くの方から「ウォーン、ウォーン」という獣の咆哮が響いて来た。探検隊の面々の表情に緊張が走った。あれは邪悪な白猿が発した声なのか。来たるべき対決の時に向けて、探検隊の面々は身構えた。邪悪な白猿は、いつ彼らに襲い掛かるのだろうか。

 

 やがて探検隊は、洞窟の入り口にたどり着いた。彼らが目指す宝は、どうやらこの中にあるらしい。探検隊が洞窟に入ってからしばらくして、その洞窟の奥から、先ほどと同じ「ウォーン、ウォーン」という獣の咆哮が響いて来た。邪悪な白猿は、この洞窟の奥に潜んでいるのだろうか。探検隊の各員は、いつ襲われても戦えるように、臨戦態勢に入った。

 

 ポッド隊長は、皆に注意を促した。「足元に気を付けろ。邪悪な白猿にばかり気を取られると、思わぬ落とし穴に落っこちるぞ」しかし皆の意識は、どうしてもあの不気味な咆哮に向かってしまっていた。こんな逃げ場のないところで邪悪な白猿に襲われたら、果たして自分たちは生き残れるのか。

 

 「ギャー!」突然洞窟に悲鳴が轟いた。皆何が起きたのかと周囲を見回し、仲間の無事を確認した。しかし…。「歌姫アリナはどこだ!」隊長が叫んだ。皆辺りを見回しアリナを探したが、彼女はどこにもいなかった。「隊長、ここに穴が!」射撃王ビートンが地面を指さした。確かにそこには穴があった。

 

 「ここに落ちたんだ!」ほかの隊員もこの穴を見逃していたのに、なぜ彼女だけが…。彼らはアリナの無事を祈りつつ、穴に向かって呼び続けた。「おーい!おーい!」しかし応答はなかった。どれだけ深い穴なのか分からない。彼らは全員、アリナの救出は不可能だと判断した。

 

 「だから、あれほど…」隊長は歌姫アリナの不運を悔やんだ。そして彼らは隊長の提案に従って、一旦海岸のキャンプまで戻ることにした。彼らにとって歌姫アリナの死はショックだったが、特に隊長はひどく落ち込んでいた。夜たき火を囲みながら、アリナのことを語り合っているうちに、射撃王ビートンは当初から抱いていた疑問を、隊長に投げかけた。

 

 そもそも、なぜ歌姫アリナをここに連れて来たのか?それは皆が感じていた疑問だった。すると隊長からは意外な答えが返ってきた。「実は私とアリナは婚約していたんだ」そんなに大事な存在なら、なぜこんな危険な場所へ連れて来たのだろうか。「あの宝の地図は、彼女が持っていた物だった。彼女は私にそれを見せる代わりに、私を連れてってと…」

 

 その後2回目の挑戦で、探検隊は無事宝を手に入れた。恐れていた邪悪な白猿は、とうとう姿を現さなかった。彼らはキャンプに戻ったが、歌姫アリナの死を悼み、全員が控えめに喜びを分かち合う中、隊長は言った。「私たちが無事宝を手に入れられたのも、邪悪な白猿と遭遇せずに済んだのも、亡くなったアリナが守ってくれたからだ。彼女は穴に落ちたんじゃない。私たちの身代わりに邪悪な白猿と戦って死んでいったんだ。それでいいじゃないか」

 

 人生を一幕のお芝居とするなら、歌姫アリナの死は、あまりにも絵にならない最期であった。探検隊の妙な肩書の面々も、その特性を活かすことなく終わり、思わせぶりな邪悪な白猿は、そもそもいるのかどうかも分からない。しかし隊長は、きっと話を面白くしてくれる。彼の手になる冒険奇譚の出版を、期待して待ちたい。

「愛」なんて歌の文句だと思っていた

 夕食の後、フーラとカレナの姉妹は、ソファーに座ってテレビを見ていた。テレビでは一般家庭の家族がチームを作りゲームで競い合う「待ったなし!崖っぷちファミリー」という番組をやっていた。二人はこの番組を見ながら、それぞれ「家族」という言葉について考えていた。彼女たちにとって、この言葉は痛みの伴うものだった。

 姉のフーラは60代の今に至るまで独身を通してきた。一方妹のカレナは、結婚し2人の子どもをもうけ、その子どもたちが独立した後、夫に先立たれ、長年独り暮らしだった姉の誘いに乗り、彼女が生まれ育った家に帰り、姉と二人で暮らすようになっていた。 
 
 フーラは「家族」という言葉に、強いこだわりを持っていた。彼女は自分の育った家庭に、大いに不満を抱いていた。彼女の両親はすでに他界していたが、それでも彼女は両親が許せなかった。60歳を過ぎて、まだ自分の親に対する不満を引きずっていることを、自ら恥じてはいたが、彼女にとってはたかが60年くらいで、きれいに水に流せるようなことではなく、きっと自分は死ぬまでそのことについて不満を抱き続けるだろうと思っていた。 
 
 一方妹のカレナは、自分が子を持つ親という立場にあるからか、姉に比べれば両親に対しては寛容だった。ただやはり自分の育った家庭への不満は持っているので、基本的には姉に同調できた。両者に共通する認識は、自分たちの育った家庭には「愛」が存在しなかったということである。今でこそ同居して共に助け合う姉妹になれたが、子どもの頃はこの姉妹も不仲で、両者の間にも愛は無かった。
 
 彼女たちにはマケットという弟がいた。このマケットは幼少の頃から問題児で、十代の頃には何度も警察沙汰を起し、挙句の果てに16歳の時にバイク事故で亡くなっていた。フーラは弟が死んだ時、正直悲しみを覚えなかった。それは弟の度重なる愚行の故でもあったが、彼女はそれ以前の問題として、一度も弟を愛したことが無かった。
 
 それはカレナも一緒だった。しかし両者はお互いにそのことを確認し合ったことはなく、相手の本当の気持ちを知らなかった。その為二人とも心の奥で自分を責め、その裏返しとして努めて何でもない振りをして生きてきた。カレナは亡くなった夫に対してでさえ、その件に関する心のあり様を伏せていた。そして結婚したことのないフーラもまた、誰にも本心を明かしたことはなかった。
 
 彼女たちの両親は、生前ついに一度もマケットの死について触れることはなかった。問題児だったとはいえ、両親にとってマケットは実の子どもなので、その心のあり様は娘たちのそれとは異なるだろう。娘たちにとってもマケットに関する話題はあまり好ましくなかったので、二人とも両親の態度に不満はなかったが、一方で自分たちの家庭の歪さを嫌悪していた。そしてそれは強烈な自己嫌悪にも繋がった。
 
 フーラは結婚しなかったので叶わなかったが、カレナは結婚して子を持ったことにより、自分の育った家庭から与えられた「負の遺産」を、懸命な子育てによって、ある程度は消化できた。彼女の夫は良き夫であり良き父でもあったので、頼もしいタッグパートナーと共に、母カレナは善戦した。もちろん完璧な母親などではないが、カレナは自分の親としての職責は全う出来たと自負している。
 
 カレナの家庭にはあって、彼女の育った家庭には無かった「愛」は、どこから生まれてくるのだろう。そしてどこで失うものなのだろう。姉のフーラ共々認める愛のない家庭は、まず彼女たちの両親の間の感情に端を発しているのだろうが、その両親にもそれぞれ育った環境というものがあり、元をたどればキリが無い。
 
 愛なんて宗教の戯言か、軽薄な歌の歌詞に出て来る流行り言葉くらいにしか思わない人もいるかも知れない。しかしフーラもカレナも(そして恐らくはマケットも)、確実に愛に飢えた子どもたちだった。彼女たちの両親は子どもの前で喧嘩をしたこともなく、また離婚もしなかった。そういうことに苦しめられた子どもたちから見れば、フーラたちの家庭は羨ましいくらい円満な良い家庭である。
 
 しかし対外的な評価だけで家庭の良し悪しは計れないだろう。今フーラとカレナが見ている番組に出ている、仲の良さそうな家族だって、実情は誰にも計れない。そしてそれは内部の人間でさえ、見間違えている可能性がある。突然のバイク事故で亡くなったマケットを見て、両親が本心でどう思ったのかさえ、二人の娘は知らないのだ。そしてその両親もまた、二人の娘がどう思っているのかを知らずに世を去った。
 
 「あのお父さん、いい人そうだよね」番組の中のゲームで失敗した父親を見て、フーラは笑いながら言った。彼女の父親は決して失敗をしない人だった。いや自分の失敗を認めない人だった。そして当然の如く、他人の失敗にも不寛容であった。この父親は悪い人ではない。酒も飲まなければ、ギャンブルもしない。ただ人への思いやりが無かった。優しい性格なのに、愛を知らなかった。その責任は、誰にも問えない。